朝鮮通信使は江戸時代に12回行われますが、
そのうち11回は三之瀬に寄港しており、
広島藩による豪華な接待が行われました。
三之瀬での滞在は僅か3日間でしたが、
広島藩はその5ヶ月前から準備を開始。
その接待は同行した対馬藩の藩主より、
「安芸蒲刈御馳走一番」と称えられ、
勢を尽くした歓待だったとされています。
正使らの宿泊する「上の茶屋」を改修し、
朝鮮通信使御馳走人、酒菓子奉行、
賄青物奉行、活鳥奉行ら役人総勢759人が、
おもてなしの料理等を準備。
通信使一行の嗜好調査も行ったようで、
雉を好むと判ればこれを調達し、
藩の威信を掛けて歓待したようです。
「長雁木」。
江戸時代初期に福島正則が整備した長雁木。
朝鮮通信使が上陸した場所とされ、
他にも江戸参府のカピタンや琉球使節が、
ここから上陸したようです。
「三之瀬御本陣芸術文化館(本陣跡)」。
参勤交代で寄港した諸藩の大名や、
幕府の要人らが宿泊した本陣跡。
現在は外観復元のうえ美術館となっており、
須田国太郎の作品を常設展示しています。
朝鮮通信使に同行する対馬藩の一行は、
この本陣に宿泊しました。
「三ノ瀬朝鮮信使宿館跡」。
本陣の裏手に「上の茶屋」が置かれ、
朝鮮通信使の正使や副使らの高官が、
ここに宿泊していたとされます。
現在は民家となってしまっていますが、
石段や石垣等はその遺構とのこと。
歓待の様子は松濤園の「御馳走一番館」で、
詳しく展示されています。
「三汁十五菜」。
朝鮮通信使の高官に振舞われた料理。
3種の吸い物と15種類の料理で構成され、
当時としては非常に豪華でした。
「丸本みかん(丸本家住宅)」。
本陣の右側には「下の茶屋」が置かれ、
朝鮮通信使の下官が宿泊していました。
この建物はその敷地内にあり、
御茶屋を管理した武士の役宅だったとされ、
「下の茶屋」の一部であったとされています。
現在はみかん屋さんのようです。
他藩から「一番であった」と称されるのは、
藩として非常に誉れ高い事だったでしょう。
広島藩の藩祖浅野長政は慶長の役において、
朝鮮に渡り李氏朝鮮軍と戦っていますが、
当初は出兵に批判的であったという。
その事が何らかで関わっているのか、
全く関係がないのかは判りませんが、
広島藩浅野家は朝鮮通信使を最も歓迎し、
勢を尽くしてもてなしていたようです。
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