斎宮は古代から南北朝時代に、
伊勢神宮に奉仕した斎王の御所。
斎王は未婚の内親王か女王から選ばれ、
巫女として神事を行っていました。
平安時代前期の最盛期には、
13の司と500人以上の官人を擁して、
大規模な宮廷都市として繁栄。
その後は徐々に衰退していったようで、
南北朝時代に完全に廃絶しています。
「斎宮跡」。
多気郡明和町にあった斎宮跡。
近鉄山田線斎宮駅の北側に遺跡が広がり、
巨大な「斎宮」の看板が建てられています。
「斎宮跡歴史ロマン広場」。
何が何だか想像が出来ませんが、
古代の斎宮の都があった場所とのこと。
「斎宮1/10復元模型」。
こんな感じに斎宮があったようですが、
これがどこにあたるのかよくわからない。
もう少し親切だったら良かったのに。
「齊王御館之遺蹟」碑。
明治36年に建立された跡碑。
周辺は斎王に関わる建物が建っていたのこと。
さいくう平安の杜へ。
斎宮で重要であった3つの建物が復元され、
往時の様子を再現しています。
「寮正殿」。
斎宮寮長官が儀式を行ったり、
使節に接見した寮正殿。
実際の政治が行われた場所とのこと。
「西脇殿」。
宴会が行われていたという西脇殿。
饗応の場として使用されたとのこと。
斎宮や地域の歴史と文化の資料を展示。
「東脇殿」。
地面に直接柱が建てられており、
床が無い東脇殿。
役人が待機したり荷物が置かれた建物。
一応西脇殿にいたスタッフに説明頂き、
そのうえで記事を書いていますが、
やはり古代は範囲外で苦手です。
斎宮が廃止されてから近代まで、
周囲の様相は変化していますが、
斎王の住居だったとされる場所のみは、
地元で大切に扱われていたようで、
「斎王の森」として残されています。
「斎王の森」。
斎王の御館があったとされる場所は、
神聖な場所として守られたようです。
「齋王宮阯」。
斎王の御館を示す跡碑。
現在は神宮司庁が管理しているようです。
安政3年に白石正一郎は伊勢詣を行い、
7月8日に「斎の宮の古跡」を訪問。
当時はまだ発掘はされていませんので、
白石はこの場所に来たのだと思われます。
「大伯皇女歌碑」。
斎王の森の脇にある歌碑。
天武天皇の皇女で斎王だった大伯皇女の歌。
「わがせこを 大倭へ遣ると さ夜更けて
あかとき露に わが立ち濡れし」
斎王大伯皇女の許へ実弟の大津皇子が訪ね、
その後に戻る弟を見送る心境を歌ったもの。
大津皇子はその後に政争にまき込まれ、
若くして自害してしまっています。
実は後の研究によってこの斎王の森は、
斎王の御館跡ではない説が濃厚らしい。
実際の御館であったとされる場所。
現在は竹神社となっています。
時間の関係で訪問していません。
江戸中後期の国学者富士谷御杖は、
神道の精神的統合の象徴として
斎王を再興するべきであると主張。
これが幕末期にも主張されるようになり、
津藩11代藩主藤堂高猷は朝廷に対し、
斎宮及び神祇官の再興を建白しています。
しかしこれは実現される事は無く、
明治維新後も復活はされませんでした。
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