小郡宰判の大庄屋役を代々務めた林家。
林勇蔵はその10代当主でした。
家督を継いで上中郷の庄屋となり、
仁保津の丘の上に水田を作ることを考え、
鉱山を掘る技術を利用して水路を造り、
やがで約10hの水田を完成させるに至ります。
勤皇の志篤い人物だったようで、
高杉晋作が功山寺で挙兵すると、
小郡の庄屋をまとめて庄屋同盟を結成し、
これを財政的に支援しました。
「林本家新墓地」。
林家の菩提寺は多門寺ですが、
墓所は寺の北西200m弱の墓地にあります。
墓地をどんどん登って行った最奥が、
明治以降の林家本家の墓所となっています。
※江戸期の墓所は多門寺境内。
「彰徳碑」。
墓所にある林勇蔵の彰徳碑。
伊藤博文、大給恒(元龍岡藩主)、
毛利元徳の名が見られます。
賜った感状が刻まれている模様。
「従六位林勇蔵之墓(右)」、
「小林院瑞巌智光大姉(左)」。
大庄屋林勇蔵の墓と妻キヌの墓。
勇蔵は吉敷郡矢原村の酒屋山田和吉の四男で、
林家の養子となって家督を継いでいます。
庄屋同盟では中心的役割を果たし、
諸隊勢に金穀を惜しげもなく提供。
農兵2小隊と軍夫1200人を大田に派遣し、
更に野戦病院となった海善寺等3ヶ寺に、
布団や手桶等を運び込んでこれを支えました。
維新後は山口県租税課に勤め、
地租改正に取り組んた他、
椹野川堤防の改修等にも尽力。
明治32年に86歳で死去しています。
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