國泰寺墓地にある大石家の墓所。
広島藩浅野家の分家である赤穂藩浅野家は、
3代浅野長矩が刃傷事件を起こした為改易。
その要因を作った吉良義央を仇として、
家老大石良雄以下47名がこれを討ち取り、
その首を長矩の墓前に供えました。
彼らは幕府の裁定によって切腹となり、
その親類も連座して罪を負っていますが、
大石は討ち入り前に妻子を離縁した為、
その妻理玖は豊岡藩の実家石束家へ戻り、
4人の遺児の育児を行っています。
※このうち長女と次男は早逝。
その後に恩赦で赤穂義士の罪が許されると、
三男大石大三郎は広島藩に仕官し、
理玖と次女るりも広島に移住しました。
「赤穂義士追遠塔」。
大正2年に建立された供養塔。
広島の義士追遠会の設立15年を記念して、
旧國泰寺の境内に建立されたもの。
広島藩12代藩主浅野長勲の揮毫。
「香林院花屋壽榮大姉(右)」、
「松巌院忠幹蒼榮居士(中央)」、
「良松院閑翁遊水居士(左)」。
大石良雄の妻理玖の墓、
良雄の三男大石大三郎良恭の墓、
良恭の曽孫大石巌温良の墓。
良恭は藩で御番頭等を務めており、
知行は父と同じ1500石が与えられました。
※次女るりは同藩士浅野直道に嫁ぐ。
温良は大石大三郎家の4代当主ですが、
他家からの養子だったようで、
良雄の血脈は途絶えているようです。
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浅野長矩と四十七士の墓所。
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吉良上野介義央の墓所。
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赤穂藩浅野家の居城跡。
