聖光寺墓地にある金子霜山の墓。
金子家は医業を生業としており、
一門家老東城浅野家に仕えましたが、
祖父金子楽山は「闇斎学」の大家として、
※山崎闇斎の提唱した学派で、
朱子学と神道を融合させたもの。
広島藩の藩校学問所の初代教授陣に抜擢。
その子金子華山、孫の金子霜山と、
学問所の教授として教育に携わりました。
「霜山金子先生之墓(左)」、
「贈正五位金子徳之助(右)」。
広島藩儒学者金子霜山の墓。
露山は金子華山の子として生まれ、
学問所で頼山陽や坂井虎山と学びました。
文化8年(1811)に学問所教授となり、
藩儒として藩政にも関与。
財政難の中で教育の質の維持に務めた他、
「易経」の研究等に力を注いでいます。
慶応元年に77歳で死去しており、
当地にあった瑞川寺に埋葬。
墓碑の新しい方は大正5年の建立で、
正五位を叙せられた際のものです。
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