青山霊園にある橋本家の墓所。
橋本家は羽林家に属した公家で、
清華家の西園寺家の庶流にあたります。
「橋本家之墓(中央)」、
「橋本家先祖代々諸霊(左)」。
17代当主橋本実麗以降の一族の墓と、
それ以前の累代諸霊の墓。
実麗は16代当主で権大納言の橋本実久の子。
皇女和宮の生母観行院の実兄であり、
徳川家茂との婚姻の話が持ち上がると、
妹と共にこれに強く反対。
再三の要求に和宮が折れて承諾する際、
降嫁の内諾する5ヶ条の条件として、
「御用の際は実麗を下向させる」とあり、
和宮の伯父実麗への信頼が伺えます。
結局実麗は呼び寄せられることはなく、
維新後に橋本家は東京に移住。
公式な記録としては明治8年の行幸の際、
明治天皇は麻布の和宮邸を訪れており、
皇后と共に昼食を共にしていますが、
その際に実麗も陪席していました。
その2年後に和宮は脚気で死去し、
実麗は明治15年に74歳で死去。
家督は養子の橋本実梁が相続しています。
墓所は1種イ5号20側。
【公家の墓所】
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