青山霊園にある田中久重の墓所。
からくり儀右衛門と呼ばれた発明家です。
「田中家墓所」。
田中家の墓所は1種ロ12号31側。
綺麗に整備された立派な墓域です。
「田中久重 配與志子」。
初代田中久重(儀右衛門)と妻與志子の墓。
久留米の鼈甲細工師田中弥右衛門の長男で、
15歳の頃より久留米絣の織機を考案したり、
からくり人形の新しい仕掛けを作って、
「からくり儀右衛門」と称されました。
天保5年(1834)に上方へ移住し、
「懐中燭台」「無尽灯」等を発明。
また京都の土御門家に入門しており、
天文学を学んで「須弥山儀」を開発して、
更に蘭学者廣瀨元恭に入門し、
「万年自鳴鐘」を完成させました。
その後佐賀藩の精煉方に着任しており、
日本初の国産蒸気機関車及び、
蒸気船の模型を製造。
反射炉の設計と大砲製造にも貢献し、
「電流丸」の蒸気罐も製造しています。
文久2年には千代田形の蒸気罐を修繕し、
翌年には国産初の蒸気船「凌風丸」で、
その建造を担当。
元治元年には故郷の久留米に戻り、
久留米藩の軍艦購入や銃砲鋳造に携わり、
殖産興業等にも大きく貢献しました。
明治6年に東京に移住して、
電信機関係の店舗兼工場を設立。
明治14年に82歳で死去しています。
「田中久重 美知恵」。
2代田中久重(大吉)と妻美知恵の墓。
久留米の金工金子荘右衛門の六男で、
初代に認められて養子となり、
養父の死後に事業を引き継いで、
芝浦に「田中製造所」を設立。
海軍の要請で水雷を製造しましたが、
後に受注が減って経営不振となり、
田中製作所の経営権を三井に譲渡。
退職して新たに「東京車両製造所」を創設し、
鉄道車両の製造に携わりました。
明治38年に60歳で死去。
田中製作所は「芝浦製作所」に改称して、
後に「東京電気株式会社」と合併し、
「東京芝浦電気株式会社」が設立。
これが現在の「東芝」の前身となりました。
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