青山霊園にある海江田信義の墓所。
海江田は有村四兄弟の長兄でした。
「枢密顧問官正二位勲一等
子爵海江田信義墓」。
枢密顧問官海江田信義の墓。
薩摩藩士有村仁左衛門の長男に生まれ、
弟に有村雄助兼武、有村次左衛門兼清、
有村國彦がいました。
幕末期は有村俊斎と称しており、
西郷隆盛や大久保利通らと精忠組を結成。
次弟の治左衛門は桜田門外で井伊直弼を討ち、
井伊の首を奪うも力尽きて自刃しており、
長弟雄助も事件に関与した為に切腹。
次左衛門は海江田家の養子となる予定で、
その死でこれが果たせなくなった為に、
代わって海江田家を相続しており、
以後は海江田武次信義を名乗って、
有村家は三弟國彦が相続しています。
以後は国父島津久光の側近となっており、
寺田屋騒動や生麦事件に関与。
維新後は大村益次郎と幾度も対立し、
激しく恨んでいたとされており、
大村暗殺犯との付き合いもあった事や、
犯人の処刑差し止めも行った事から、
その関与が疑われました。
事件の影響で長州閥から激しく憎まれ、
華族制度では子爵に止まったとされ、
以後は奈良県知事、左院四等議官、
元老院議官、貴族院議員を務めた後、
明治24年に枢密顧問官となっています。
明治39年に75歳で死去。
墓所は1種ロ12号7側。
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関所の手前で首実検が行われました。
