宝筐院は右京区嵯峨にある臨済宗寺院。
包括組織に属さない単立寺院であり、
美しい庭園を有料公開してます。
「宝筐院」。
白河天皇の勅願寺として平安期に創建され、
当初は善入寺と称していたようです。
室町初期には2代将軍足利義詮により、
観林寺と改められましたが、
後に再び善入寺に戻されており、
義詮の墓がある事から8代将軍足利義政が、
義詮の院号でもある「宝筐院」に改称。
足利将軍家の庇護を受けましたが、
応仁の乱後はその庇護から外れ、
細川政元の庇護を受けました。
しかし政元の死後は衰退する事となり、
次第に廃れる事となり遂には廃寺。
明治後期になって再興されています。
「宝筐院庭園」。
庭園の拝観料は大人500円。
紅葉の美しい庭園ではありますが、
夏も意外に良いものです。
木陰が結構涼しいなと感じました。
「本堂」。
大正6年に再建された本堂。
観光客であふれる京都にあって、
訪問時の庭園は貸し切り状態。
紅葉の頃に来れば素敵でしょうが、
この静寂はありえないでしょう。
庭園の最奥には楠木正行の首塚と、
2代将軍足利義詮の墓があります。
「足利義詮墓(左)」、
「楠木正行首塚(右)」。
室町幕府2代将軍足利義詮の墓と、
楠木正成の長男楠木正行の首塚。
義詮は初代室町将軍足利尊氏の嫡男で、
父と共に南北朝の戦乱を戦って勝利し、
その死後に2代将軍に就任して、
室町幕府の築き上げた人物。
正行は楠木正成の長男に生まれ、
父と共に後醍醐天皇を支え、
その死後も意志を継いで足利勢と戦い、
何度もこれを退けましたが、
四條畷の戦いで討死しています。
善入寺住職黙庵周諭はその首級を引き取り、
その境内に葬っていましたが、
後に義詮が母の法要で黙庵周諭と出会い、
正行の人柄や生き様、忠義心を聞き、
以前の敵ながら激しく心を打たれて、
深く正行を敬愛するようになったという。
後に義詮が38歳で病没する際には、
正行の隣に墓を建てて欲しいと遺言。
その遺言通りにこの墓が建てられました。
但し義詮の本墓は鎌倉の浄妙寺光明院で、
分骨もされていないと思われる為、
この墓は供養塔だと思われます。
■関連記事■
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山口市にある13、15代足利将軍の供養塔。
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7代将軍足利義教の首塚。
・栃木県さくら市 龍光寺/喜連川藩足利家墓所
喜連川藩足利家の歴代墓所。
