二尊院墓地にある壬生家の墓所。
壬生家は羽林家に属する公家の家系で、
同じく羽林家園家13代園基音の末子が、
葉川基起を名乗って興しました。
後に曽孫の代で壬生家に改めており、
以後は壬生家として続いています。
〇葉川基起初-基淳2-基章3-壬生俊平4–
基貫5-師基6-家尹7-道吉8-基修9-基義10–
「従一位勲一等伯爵壬生基修之墓(中央)」、
「壬生家之墓(左)」。
9代当主壬生基修の墓と壬生家累代墓。
基修は庭田家21代庭田重基の三男に生まれ、
8代壬生道吉の養子となって昇殿しました。
急進的な尊皇攘夷派の公家だったようで、
三條実美らと共に朝廷内で工作を行いますが、
八月十八日の政変で失脚。
七卿のひとりとして長州に落ち延び、
後に太宰府の延寿王院に移動しています。
慶応3年の王政復古によって許されて帰還し、
戊辰戦争にも参謀として出征。
戦後は越後府知事、水原県知事、東京府知事、
元老院議官等を歴任しており、
明治24年に伯爵に叙爵されました。
以後は平安神宮初代宮司、
大日本武徳会副会長、貴族院伯爵議員等、
明治37年まで務めた後に京都に戻り、
明治39年に70歳で死去。
隣の墓は8代までが合葬されたもので、
10代以降は多磨霊園に埋葬されています。
【公家の墓所】
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