京都府京都市 二尊院/三條家墓所

二尊院墓地にある三條家の墓所。
三條家は清華家に属する公家の家柄で、
藤原北家閑院流の嫡流にあたります。
閑院太政大臣藤原公季を祖としており、
その孫三條實行をその初代とし、
代々五摂家に次ぐ家格を有していました。


「三條家墓門」。
三條家墓所に入る為の墓門で、
二尊院墓地内に唯一ある土塀と木造門。
その扉は閉じられていますが、
かんぬきを開けて入る事が出来ます。


「三條家墓所」。
五輪塔や宝筐院塔等の墓が並ぶ墓所。


「始祖藤原仁義公以下之墓」。
藤原仁義とは閑院流始祖藤原公季の事で、
この墓は個人墓の無い当主の合葬墓のようで、
後年になって建てられたもの。


右から、
「贈内大臣藤原公廣公」、
「前左大臣藤原實秀公」、
「前右大臣藤原公冨公」、
「左大臣藤原實治公」、
「前右大臣藤原實顕公」。
三條家19代当主三條公廣の墓、
三條家20代当主三條實秀の墓、
三條家21代当主三條公冨の墓、
三條家22代当主三條實治の墓、
三條家25代当主三條實顕の墓。


「前右大臣藤原季晴公」。
三條家26代当主三條季晴の墓。


「後己心院前内相(以下破損)」。
29代当主三條實満の墓。
28代三條公修の二男で31代三條實美の父。
日米修好通商条約への勅許に反対した為、
関白九条尚忠に参内停止を命じられますが、
孝明天皇はこれに激怒しており、
摂家の鷹司輔煕と二條斉敬が勅使として、
三條邸に赴いて参内を命じています。
しかし安政の大獄で謹慎の処分を受け、
同年の安政6年に病死してしまいました。
※毒殺説もあります。


「贈右大臣従一位藤原忠成公墓」。
こちらも29代当主三條實満の墓ですが、
※忠成は維新後に贈られた諡号。
維新後に新たに建てられたものでしょう。


「貞誠院 尊儀」。
實満の正室紀子の墓。
土佐藩10代山内豊策三女で三條實美の母。


「内大臣正一位大勲位三條公瘞髪塔」。
31代当主三條實美の遺髪塔。
三條實美は東京の護國寺に葬られましたが、
歴代の墓所に遺髪が納められました。
實美は尊皇攘夷派公家の中心的存在で、
八月十八日の政変で失脚して長州に下り、
第一次長州征伐後に大宰府に移動。
王政復古後は議定、右大臣等を務め、
明治4年に太政大臣に就任しています。
内閣制度創設後は内大臣となり、
2代黒田内閣の総辞職後は臨時首相を兼任。
明治24年に55歳で死去しました。
死因はインフルエンザとのこと。


「従二位勲四等侯爵三條公美瘞髪塔」。
32代当主三條公美の遺髪塔。
公美は實美の実子でしたが、
實美は30代三條公睦の子公恭を継嗣とし、
公美には分家東三條家を興させました。
しかし公恭の素行の悪さに廃嫡し、
公美を復籍させて継嗣としており、
實美の死去後に公美は家督を相続。
貴族院公爵議員等を務めています。
本墓は護國寺の實美の墓の隣。

碑銘が読めず被葬者不明ですが、
玉垣付で当主かも(?)な墓もあります。

細身の古い宝篋印塔。
苔生して碑銘は読めません。


こちらも古い宝篋印塔で、
風化と苔で被葬者は不明。
他の墓は奥方や一族のものと思われます。

【公家の墓所】

■関連記事■
・東京都文京区 護國寺/三條實美墓所
 31代当主三條實美の墓所。
・京都府京都市 梨木神社
 三條實萬と實美を祀る梨木神社。
・東京都港区 青山霊園/東三條家墓所
 分家東三條家の墓所。
・京都府京都市 二尊院/嵯峨家墓所
 分家にあたる正親町三條家(嵯峨家)墓所。

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