二尊院墓地にある三帝御陵。
歴代天皇の御陵は宮内庁管理ですが、
ここは二尊院が管理しています。
「三帝御陵」。
83代土御門天皇、88代御嵯峨天皇、
90代亀山天皇の分骨墓が並びます。
「土御門天皇層塔」。
83代土御門天皇の分骨墓。
土御門天皇は承久3年(1221)の承久の乱で、
後鳥羽上皇と順徳上皇が遠島された為、
自ら土佐国に流されました。
その後に阿波国に移されていますが、
寛喜3年(1231)の崩御直前に出家。
阿波国で荼毘に臥された後に、
遺骨が持ち帰られて金原陵に葬られており、
その際に分骨されたものが、
ここに埋葬されたとされています。
二尊院の寺伝によれば3世湛空上人が、
その戒師を務めたという事になってますが、
どちらかが赴かねば物理的には不可能。
生前に京都に戻るとは思えませんので、
土佐に旅立つ前に授戒を受けたが、
阿波国まで湛空が赴いたのでしょうか?
「後嵯峨天皇層塔」。
88代後嵯峨天皇の分骨墓。
後嵯峨天皇は土御門天皇の第七皇子。
87代四条天皇が12歳で崩御した為、
その皇位継承争いが発生。
関白九条道家らが擁立する忠成王は、
順徳上皇の皇子だった為に、
鎌倉幕府が土御門天皇の皇子を推し、
88代天皇に即位しました。
在位4年で後深草天皇に譲位し、
22年間の院政を行って出家。
二尊院によれば湛空上人が戒師を務め、
文永9年(1272)に崩御しています。
「亀山天皇宝篋印塔」。
90代亀山天皇の分骨墓。
亀山天皇は後嵯峨天皇の第八皇子で、
兄の後深草天皇から譲位されています。
約14年間在位していましたが、
文永11年(1274)に譲位して元寇に備え、
文永の役が発生した為には、
「敵国降伏」の祈願を行いました。
弘安4年(1281)の弘安の役では、
全国の一宮や大寺院に大規模な祈祷を命じ、
国民や鎌倉武士を精神的に支えています。
後に兄の後深草上皇を差し置いて、
自らの子孫に皇位を継がせようとし、
後の南北朝の争いの遠因となったという。
正応2年(1289)に出家しており、
寺伝によれば4世叡空上人が戒師を務め、
嘉元3年(1305)に57歳で死去。
この三帝は直接の親子孫関係であり、
授戒を受けたという理由たけではなく、
別の理由もありそうではあります。
●天皇陵
■関連記事■
・京都府京都市 大原陵
84代順徳天皇の御陵。
・京都府京都市 九條陵
85代仲恭天皇の御陵。
・京都府京都市 泉涌寺/観音寺陵
86代後堀河天皇の御陵。
