安国寺は壱岐市にある臨済宗寺院。
暦応元年(1338)に足利尊氏と足利直義は、
壱岐にあった海印寺を安国寺に改称し、
元寇以来の戦死者を弔いました。
安国寺は室町時代よりの古刹であり、
多くの寺宝を所蔵していましたが、
そのひとつであった… 続きを読む
長崎県壱岐市 安国寺/松浦久信夫婦拝塔
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安国寺は壱岐市にある臨済宗寺院。
暦応元年(1338)に足利尊氏と足利直義は、
壱岐にあった海印寺を安国寺に改称し、
元寇以来の戦死者を弔いました。
安国寺は室町時代よりの古刹であり、
多くの寺宝を所蔵していましたが、
そのひとつであった… 続きを読む
壱岐にある住吉神社は三韓征伐の後、
神功皇后が住吉三神を祀った事に始まります。
初めは郷ノ浦にあったようですが、
後に現在地に遷座しました。
[日本初の住吉神社]であるとされており、
「延喜式神名帳」では… 続きを読む
豊臣秀吉の2度の朝鮮出兵により、
李氏朝鮮との関係は悪化しますが、
徳川家康は朝鮮との関係改善を進め、
李氏朝鮮に通信使の派遣を打診。
慶長12年(1607)より使節が派遣され、
以後12回これが続いています。
※1回目から4回目までは国交回復交渉や、
捕虜の返還が行われました。
5回目より将軍就任の祝賀… 続きを読む
壱岐島は対馬と九州の間にある離島で、
その面積は133.8㎢程度ながら、
※宮古島や小豆島より小さい。
壱岐国として国府が置かれていました。
日本神話では伊邪那岐と… 続きを読む
野田は薩州島津家の領地だった地で、
薩州家5代島津実久が弟島津忠兼に与え、
忠兼がこれを治めていました。
後に忠兼は6代島津義虎に殺害されており、
その後に怪異が続いたとされ。
祟りを恐れた領民が若宮神社を建立。
薩州島津家は文禄の役の不参加を理由に、… 続きを読む
隈之城郷は川内川南岸や、
その支流の隈之城川と百次川流域周辺。
薩摩藩の直轄地だったようで、
地頭仮屋が置かれました。
「隈之城地頭仮屋跡(隈之城小学校)」。
隈之城地頭仮屋跡は現在の隈之城小学校。… 続きを読む
山田郷は平佐川流域にあった外城。
山田村一ヶ村で形成されていました。
「山田御仮屋跡」。
山田御仮屋跡は住宅地となっています。
初め永利城跡の麓に置かれましたが、
後に南西部の馬場に移転。
遺構らしきものは全くありませんでした。… 続きを読む