長府にある大乗寺は嘗て浄厳寺と呼ばれ、
明治になって大乗寺に改称されました。
ここに興膳昌蔵の墓があるという。
「大乗寺山門」。
長府商店街の北端。
隣は一字庵菊舎の墓のある徳応寺。
「本堂… 続きを読む
長府にある大乗寺は嘗て浄厳寺と呼ばれ、
明治になって大乗寺に改称されました。
ここに興膳昌蔵の墓があるという。
「大乗寺山門」。
長府商店街の北端。
隣は一字庵菊舎の墓のある徳応寺。
「本堂… 続きを読む
中山忠光の暗殺犯に関しては諸説あります。
定説は長府名勝旧宅址記の記載により、
長府藩士内田与三郎、佐野正右衛門、
福山吉兵衛、高田吉兵衛、
近木伴右衛門、三浦市太郎、
そして忠光の警護の松村良太郎… 続きを読む
安岡駅を降りて左に進むと、
柵のされた空き地がありました。
そこに玩古堂紫洲翁萃藏碑があった筈。
僕の高校の通学路で、
そこに碑があるのは知っていたのですが、
その頃は興味が無かったので、
通学していたは3年間スルーしていました。
最近調べるとこの玩古堂紫洲という人は、
多田京平という長府報国隊士として、
小倉戦争に参加した人物という。
ということで、… 続きを読む
高杉晋作が功山寺で挙兵した際には、
雪が降っていたとされます。
当時の天候がどうだったかわかりませんが、
現在の下関で雪が積もるのは相当なレア。
今回の大寒波は10年に1度の激レアです。
これは功山寺に行くしかない!!
・・・って、
僕は相当タイミングの悪い人間で、
大雪の日は福岡… 続きを読む
長府報国隊の初代軍監福原和勝は、
攘夷戦、小倉戦争、北越戦争、佐賀の乱、
西南戦争等に従軍した歴戦の軍人。
陸軍教導団司令長官心得、
初代清国公使館付武官なども歴任し、
西南戦争で別働第三旅団参謀長… 続きを読む
阿川毛利家は吉川元春次男毛利元氏の系譜。
長州藩一門家老第5席目の家格です。
阿川は長州藩の北西に位置する地で、
交通の便も良くはない辺境の地ですが、
その7000石程度の石高の割に、
家臣185人を抱える大所帯でした。
阿川毛利家は密貿易を行っていたともされ、
その為か海外情勢にも熟知していたという。… 続きを読む