真木菊四郎は水天宮の神官真木和泉の四男で、
父と共に尊皇攘夷運動に参加しました。
禁門の変に父と共に参加して父は戦死し、
菊四郎は敗残兵と共に長州に落ち延びます。
敗残兵の中には長州藩兵だけでなく、
他藩の志士達も参加していましたが、
土佐浪士池内蔵太もその一人。
池内蔵太は佐幕的な土佐藩から脱藩し、… 続きを読む
真木菊四郎は水天宮の神官真木和泉の四男で、
父と共に尊皇攘夷運動に参加しました。
禁門の変に父と共に参加して父は戦死し、
菊四郎は敗残兵と共に長州に落ち延びます。
敗残兵の中には長州藩兵だけでなく、
他藩の志士達も参加していましたが、
土佐浪士池内蔵太もその一人。
池内蔵太は佐幕的な土佐藩から脱藩し、… 続きを読む
下関市伊崎町に伊崎厳島神社と、
鈴ヶ森稲荷神社という2つの神社が、
小瀬戸(小門)を望む高台にあります。
源平合戦の際に都を追われた平家一門が、
西へ逃げる際に安芸の厳島神社から、
厳島大明神を分霊して持ってきていました。
そして壇ノ浦の戦いで平家が惨敗した為、… 続きを読む
高杉晋作陶像のある日和山公園には、
つかずの灯篭という石灯篭があります。
「つかずの灯篭」。
壇之浦に灯台として設置されていたもので、
長府報国隊が桜山神魂場に倣い、
貴船町の旭山に招魂場を造ることになり、
そこに灯篭を設置する事となったので、
この灯篭を運ぶ事になりました。
隊士達は酒を飲みながら運んでいたので、
灯篭を乗せた大八車を、… 続きを読む
伊崎町にある青壁の家(個人宅)の花壇に、
[關屋松兵衛旧宅跡]碑と説明版があります。
「關屋松兵衛旧宅跡」。
付船業を営む關谷松兵衛宅があった場所で、
※付船業とは水先案内を行う商売。
北浦巡視の際に吉田松陰が宿泊しています。
嘉永2年、長州藩は吉田松陰らに、… 続きを読む
竹崎の商人白石正一郎の小倉屋は、
酒、たばこ、米、お茶の卸や、
質屋、造酒屋も経営した豪商とされています。
しかし実際は長州藩の商いは無く、
孫藩の清末藩の御用商人だったようで、
豪商というほどでもありませんでした。
最も儲かる北前船交易には参加する事が出来ず、… 続きを読む
功山寺山門の改修が、いつのまにか終わってたようです。
大河効果(あるのか?)で、功山寺を訪れた人々が、
工事中でガッカリという状況が続いていましたね。
全体的に綺麗になっていて、近づくと木のにおいがしました。
でも、やっぱり古めかしい感じに味があると思うので、
前の黒い山門の方が良かったと思うのは僕だけではないはずです。
出来れば「花燃ゆ」で高杉晋作が馬でこの山門を、
颯爽と通り抜けるシーンを見たかったのですが、
決起のシーンはセットでしたね。
改修前の山門。
やっぱり味があるなあ・・・・。
今は新しい山門も、月日が巡れば良い味になってくる事でしょう。
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■2020/02/01 写真差し替え及び記事修正。
「長州藩下関前田台場跡」。
前田台場は攘夷戦に備えて築かれた台場で、
文久3年5月に海峡を渡る外国船を砲撃し、
6月に米仏海軍に報復攻撃を受けています。
ベアトによる前田台場占領時の写真。
6月1日の米艦… 続きを読む