内野宿は長崎街道筑前六宿のひとつですが、
街道筋が国道から外れてしまった為か、
江戸時代そのままに道が残っており、
往時の宿場の面影を留めています。
飯塚市内野周辺。緑の線が街道筋で、
青の線は大宰府への裏街道。
青でぼかした辺りが内野宿跡です。
東構口から西構口までは約600mで、
その中央辺りでT字に道が伸びていました。… 続きを読む
福岡県飯塚市 内野宿跡
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内野宿は長崎街道筑前六宿のひとつですが、
街道筋が国道から外れてしまった為か、
江戸時代そのままに道が残っており、
往時の宿場の面影を留めています。
飯塚市内野周辺。緑の線が街道筋で、
青の線は大宰府への裏街道。
青でぼかした辺りが内野宿跡です。
東構口から西構口までは約600mで、
その中央辺りでT字に道が伸びていました。… 続きを読む
飯塚宿は長崎街道の宿場町で、
福岡藩領の筑前六宿のひとつでした。
縄文、弥生時代から開けていたとされ、
大陸(前漢)との交流もあった先進地で、
広い穀倉地帯でもあったという。
江戸時代には水運業と宿場町で栄え、
明治時代以降は炭鉱の町としても繁栄。… 続きを読む
黒井村は川棚温泉南西の集落で、
赤間関街道北浦道筋に沿って市が開かれ、
街道の宿駅となっていたという。
下関市街より県道244号を北上。
平成の大合併前の下関市と豊浦町の旧境に、
八本松峠と… 続きを読む
永昌宿は長崎街道と多良街道の追分で、
佐賀藩の代官所が置かれていました。
JR諫早駅周辺。緑の線が長崎街道で、
青い線は多良街道。
青でぼかした辺りが宿場跡です。
「岩茶屋跡」。
街道沿いにあった茶屋の跡で、
大村から永昌に入る途中にあり、… 続きを読む
轟木宿は長崎街道の佐賀藩領東端の宿場町。
対馬藩領と轟木川を境にして分かれており、
140軒程で宿屋や茶屋が多かったという。
鳥栖市轟木町周辺。緑の線が長崎街道。
青でぼかした辺りが轟木宿跡。
東側より散策。
「境橋」。
轟木川に架かる橋で渡ると佐賀藩領。
現在はRC製… 続きを読む
青柳宿は唐津街道の宿場町。
畦町宿と筥崎宿の間に位置し、
慶長10年(1605)頃に上町、横町が整備され、
寛永2年(1625)に下町、中脇、
承応2年(1653)に新町… 続きを読む
秋吉宿は赤間関街道中筋の宿場で、
絵堂宿と河原宿の間にありました。
「地下上申絵図 秋吉(一部)」。
中央の八幡社より南に集落が伸びています。
地図は北が左で西は南。
美祢市秋芳町秋吉周辺。緑の線が街道筋。
青でぼかした辺りが秋吉宿跡。
北側が上宿… 続きを読む