戦国武将墓所」タグアーカイブ

岐阜県大垣市 西高木家墓所

西高木家美濃衆高木家の宗家にあたり、
斎藤道三の家臣高木貞政を祖とします。
貞政は齋藤家滅亡後は織田信長に仕え、
次代高木貞久も同様に信長に仕えますが、
本能寺の変で信長が倒れたてしまった為、
信長の次男織田信孝の家臣となりました。
貞久の死後は… 続きを読む

岐阜県大垣市 島津豊久墓所

関ヶ原の戦い島津義弘率いる島津勢は、
敵軍の中央を突破する事を決意し、
捨て奸の戦法を用いて戦戦を離脱しました。
しかし約300名程残っていた兵数は、
最終的に義弘以下80余まで減ったとされ、
総大将の義弘を逃がす為に、
将兵は死ぬまで戦ったとされます。
義弘の甥である島津豊久殿軍を務め、
自らも踏み留まって奮戦。
瀕死の重傷を負いながらも義弘を追い、… 続きを読む

三重県伊賀市 上行寺/藤堂家歴代供養墓所①

①/

上行寺は伊賀上野にある日蓮宗寺院。
藤堂高虎領地替えに付き従って、
各地を移転した寺院でした。


本堂」。
上行寺の創建は天正16年(1588)とされ、
当初の本拠紀伊国粉河に開山。
慶長16年(1611)に現在地に移転しており、
寛永7年(1630)に高虎が死去すると、… 続きを読む

島根県安来市 毛利元秋墓所

毛利元秋毛利元就の五男で、
月山富田城の城将を勤めましたが、
天正13年(1585)に34歳で病死しており、
月山富田城下に埋葬。
元秋の家督は同母弟毛利元康が継ぎ、
この系譜が厚狭毛利家となります。


毛利元秋の墓所は月山冨田城の北東。
周辺の史跡には案内板が多く設置され、
意外と簡単に見つかりました。… 続きを読む

鹿児島県霧島市 島津義久墓所

島津宗家16代当主島津義久は隠居後、
国分舞鶴城を築いて移り住み、
7年後の慶長11年(1611)に死去しました。
その遺骨は宗家菩提寺である福昌寺の他に、
国分の龍護院金剛寺徳持庵に分骨。
福昌寺と金剛寺では墓が建てられましたが、… 続きを読む

鹿児島県霧島市 島津忠将供養塔

島津忠将相州島津家4代当主で、
垂水島津家の初代当主でもあります。
武勇に優れた人物だったようで、
兄で宗家15代当主島津貴久を補佐。
多くの戦いで武功を挙げており、
大隅肝付家日向伊東家の抑えとして、
要衝であった清水城の城主に就任し、
両家の動向に睨みを効かせていました。
永禄4年(1561)に肝付家が… 続きを読む

大分県津久見市 大友宗麟墓所

大友宗麟は豊後の戦国大名で、
琉球カンボジアポルトガルと、
海外貿易により経済力を高め、
最盛期には九州6ヶ国を支配しています。
キリシタン大名としても知られ、
豊後にフランシスコ‣ザビエルを迎え、… 続きを読む