朝鮮通信使は江戸時代に12回行われますが、
そのうち11回は三之瀬に寄港しており、
広島藩による豪華な接待が行われました。
三之瀬での滞在は僅か3日間でしたが、
広島藩はその5ヶ月前から準備を開始。
その接待は同行した対馬藩の藩主より、
「安芸蒲刈御馳走一番」と称えられ、
勢を尽くした歓待だったとされています。… 続きを読む
広島県呉市 三之瀬/朝鮮通信使宿館跡
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朝鮮通信使は江戸時代に12回行われますが、
そのうち11回は三之瀬に寄港しており、
広島藩による豪華な接待が行われました。
三之瀬での滞在は僅か3日間でしたが、
広島藩はその5ヶ月前から準備を開始。
その接待は同行した対馬藩の藩主より、
「安芸蒲刈御馳走一番」と称えられ、
勢を尽くした歓待だったとされています。… 続きを読む
称念寺は呉服元町にある浄土宗寺院。
天正15年(1587)の創建とされます。
隣の願正寺と共に仮本陣となっており、
キリシタン禁教以降の宗門改めでは、
関係者の条目申し渡しがここで行われ、
佐賀藩の宗教政策でも重要な場所でした。
「山門(楼門)」。… 続きを読む
願正寺は呉服元町にある真宗本願寺派寺院。
関ケ原の戦いで鍋島勝茂は西軍に加わり、
伏見城や阿濃津城を攻撃。
しかし本戦で東軍が勝利した為、
小城の出身だった金持院… 続きを読む
湯田御茶屋は長州藩の御茶屋のひとつ。
御茶屋は藩主の領内巡視の際、
休憩や宿泊に使用されていましたが、
湯田の御茶屋は藩主の湯治に使用されました。
「長州藩御茶屋臨野堂跡」。
[炭火焼処磯くら]のある場所に、
御茶屋跡の碑があります。
実際の御茶屋は1町(約1ha)あったようで、
湯田温泉7、2、3、4丁目辺りが、… 続きを読む
西国街道の宿場正條宿より室津への道は、
室津街道と呼ばれる街道でした。
その途中の河内地区は丸亀藩の飛地で、
街道沿いには馬場宿が置かれています。
揖保川町金剛山周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが馬場宿跡。
南北の使者場跡… 続きを読む
室津にあった姫路藩の御茶屋は、
藩主の領内巡視の休息所として、
池田輝政によって建設された施設でした。
また参勤で諸大名が室津を訪れた際には、
場合によってはこの御茶屋が使われた模様。
※基本的には6軒の… 続きを読む
兵庫津は古くは大輪田泊と呼ばれ、
天然の良港として栄えた場所でした。
やがて平清盛による大修築が行われ、
福原京の造営も行われますが、
清盛の死後に平家は滅亡。
それでもその立地から発展を繰り返し、
室町時代には日明貿易の拠点、… 続きを読む