湯田御茶屋は長州藩の御茶屋のひとつ。
御茶屋は藩主の領内巡視の際、
休憩や宿泊に使用されていましたが、
湯田の御茶屋は藩主の湯治に使用されました。
「長州藩御茶屋臨野堂跡」。
[炭火焼処磯くら]のある場所に、
御茶屋跡の碑があります。
実際の御茶屋は1町(約1ha)あったようで、
湯田温泉7、2、3、4丁目辺りが、… 続きを読む
山口県山口市 湯田御茶屋跡
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湯田御茶屋は長州藩の御茶屋のひとつ。
御茶屋は藩主の領内巡視の際、
休憩や宿泊に使用されていましたが、
湯田の御茶屋は藩主の湯治に使用されました。
「長州藩御茶屋臨野堂跡」。
[炭火焼処磯くら]のある場所に、
御茶屋跡の碑があります。
実際の御茶屋は1町(約1ha)あったようで、
湯田温泉7、2、3、4丁目辺りが、… 続きを読む
西国街道の宿場正條宿より室津への道は、
室津街道と呼ばれる街道でした。
その途中の河内地区は丸亀藩の飛地で、
街道沿いには馬場宿が置かれています。
「馬場宿跡」。
元々は… 続きを読む
室津にあった姫路藩の御茶屋は、
藩主の領内巡視の休息所として、
池田輝政によって建設された施設でした。
また参勤で諸大名が室津を訪れた際には、
場合によってはこの御茶屋が使われた模様。
※基本的には6軒の… 続きを読む
兵庫津は古くは大輪田泊と呼ばれ、
天然の良港として栄えた場所でした。
やがて平清盛による大修築が行われ、
福原京の造営も行われますが、
清盛の死後に平家は滅亡。
それでもその立地から発展を繰り返し、
室町時代には日明貿易の拠点、… 続きを読む
土山宿は東海道の49番目の宿場町。
難所である鈴鹿峠を控える宿場で、
峠越えに向かう旅人が英気を養い、
峠を越えて来た旅人が疲れを癒しました。
「歌川広重 東海道五十三次 圡山」。
土砂降りの雨の中を進む大名行列。
土山町南土山周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが土山宿跡。
西側より散策。… 続きを読む
海田宿は西国街道の19番目の宿場町。
広島宿より東側の1宿目だった為、
送迎客も多く賑やかであったという。
※昔の旅は今生の別れにもなりうる為、
次の宿場まで見送りする事もあった。
海田町中店周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが海田宿跡。
西側より散策。
「新町」。… 続きを読む