近代日本画の父とされる狩野芳崖の旧宅跡が、
田上菊舎宅跡の北側にあります。
「狩野芳崖宅跡」。
旧街道よりひとつ西側の路地。
残念ながら空地となっていますが、
隣には古い家屋が残っています。
芳崖は長府藩御用絵師狩野晴皐の家に生まれ、
幼少時より画道に励んで才能を発揮し、
江戸へ出て木挽町狩野家… 続きを読む
下関市長府 狩野芳崖宅跡
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近代日本画の父とされる狩野芳崖の旧宅跡が、
田上菊舎宅跡の北側にあります。
「狩野芳崖宅跡」。
旧街道よりひとつ西側の路地。
残念ながら空地となっていますが、
隣には古い家屋が残っています。
芳崖は長府藩御用絵師狩野晴皐の家に生まれ、
幼少時より画道に励んで才能を発揮し、
江戸へ出て木挽町狩野家… 続きを読む
仙崎は日本海に突き出した比較的大きな岬。
海流によって運ばれた漂砂が堆積した砂嘴で、
その殆どが平坦な地形となっており、
古くから漁村、港町として栄えていました。
「御国廻御行程記 仙崎」。
絵図でもわかるように仙崎一面に家屋が建ち、
相当の賑わいであったと推測できます。
「仙崎港」。
仙崎漁港は… 続きを読む
池ノ原公園は渡辺崋山の終焉の地で、
晩年を過ごした場所。
現在は史跡公園となっています。
崋山は蛮社の獄で国許蟄居を命じられ、
ここあった池ノ原屋敷に移住しました。
「池ノ原公園」。
池ノ原屋敷周辺は公園化されており、
和室と茶室を備えた施設や、
散策路が整備されています。… 続きを読む
渡辺崋山は田原藩藩士渡辺定通の長男で、
8歳で藩主嫡男亀吉や、
三男元吉の伽役となっており、
藩主三宅康友に目を掛けられていました。
しかし渡辺家は養子の父が相続した為、
扶持を減らされ生活は困窮。… 続きを読む
愛知県田原市にある城寶寺に、
渡辺崋山の墓があります。
「城寶寺」。
弘法大師によって開創されたものとされ、
かつては幸徳寺と称していましたが、
後に浄土宗へと改宗しており、
徳川家康の居城元城の鎮護の寺として、… 続きを読む
「高杉東行終焉之地」のほど近く、
新地の旧道筋に石碑があるのを発見しました。
小田海僊という人物の旧宅跡らしいのですが、
誰だろうと調べたら南画家らしい。
「小田海僊山水図」。
こういう絵を描いていた画家らしい。
絵には詳しくありません。
没年は文久2年・・幕末の人物です。
下関市新地町周辺(小田海僊宅址)。… 続きを読む
長府の城下町のはずれにある覚苑寺は、
長府毛利家の3つある菩提寺のひとつ。
※他は功山寺、笑山寺。
下関攘夷戦の本陣はここに置かれました。
「覚苑寺山門」。
覚苑寺は長府藩3代藩主毛利綱元… 続きを読む