薩摩藩」タグアーカイブ

鹿児島県指宿市 今和泉島津家墓所

今和泉島津家薩摩島津家の支流で、
宗家4代島津忠宗の次男島津忠氏が、
和泉(出水)郷を与えられ、
和泉島津家を称したのに始まります。
しかし5代当主島津直久が戦死した為、
327年の間当主が不在となりますが、
これを江戸時代になって復活させて、… 続きを読む

下関市南部町 綿屋弥兵衛宅跡

禁門の変で直接戦火を交えた薩長両藩
この両藩を和睦させる為に、
筑前勤皇党(福岡藩)の月形洗蔵らや、
土佐脱藩の坂本龍馬中岡慎太郎が奔走し、
桂小五郎西郷隆盛の直接会談の場が、
赤間関で設けられることになります。… 続きを読む

宮崎県日向市 黒田の家臣

細島港の先にある半島部分に、
古島という名の小さな島が浮かんでおり、
地元では黒田の家臣と呼ばれています。

文久2年にここで3人の遺体が見つかり、
その被害者1人の腹巻には、
 平生心事豈有他 赤心報國唯四字
 黒田家臣、海賀直求

と書かれていたという。
3人共に片方の手に麻縄が結われており、
嬲り殺しにされたと推測されました。


古島」。… 続きを読む

東京都台東区 谷中霊園/村田経芳墓所

村田銃の開発者村田経芳の墓。
薩摩藩随一の射撃の名手でもありました。


従二位勲一等男爵村田經房
 室       久新子墓
」。
陸軍少将村田経芳夫妻の墓。
薩摩藩士村田経徳の長男として生まれ、
西洋式砲術を学んで射撃技術を磨き、
外城一番隊長として戊辰戦争に従軍。… 続きを読む

栃木県那須塩原市 大山巌墓所

明治14年。
大山巌西郷利通は開墾場を共同経営し、
彼らの出身地の加治屋町の名から、
鍛冶屋開墾と名付けました。
500町歩(500ha)の開墾地は植林や、
小作経営を行っていたようで、
牧牛も行われたとのこと。
両人の働きかけで東北本線が開通し、… 続きを読む

福岡県鞍手郡 小休所跡

正徳3年(1713) 閏5月10日夜。
薩摩藩士内田忠左衛門海江田次郎兵衛が、
藩の公用荷物を馬2頭に積み、
鹿児島から不眠不休で運んでいました。
夜四ッ時(午後10時頃)に小竹に至り、
小休して更に進んで竹藪の道となると、
暗がりで盗賊5人に襲われます。

盗賊は不意を衝いて内田の続きを読む