国分は大隅国府が置かれた地で、
軍事や交通でも要所であった為、
幾度も豪族が争った場所でした。
慶長9年(1604)には隠居した島津義久が、
舞鶴城を築城して富隈城から移住。
京都を参考に… 続きを読む
鹿児島県霧島市 国分地頭仮屋跡
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国分は大隅国府が置かれた地で、
軍事や交通でも要所であった為、
幾度も豪族が争った場所でした。
慶長9年(1604)には隠居した島津義久が、
舞鶴城を築城して富隈城から移住。
京都を参考に… 続きを読む
福山は日向や大隅と鹿児島城下の中継地で、
流通の要所として栄えた場所。
平地の下場と台地の上場に地形が分かれ、
下場は米の集積地として蔵が立並び、
上場は… 続きを読む
鹿屋は薩摩藩の直轄地だった地で、
その管轄地を支配する為に地頭が派遣され、
地頭仮屋が鹿屋城東麓に置かれました。
「鹿屋地頭仮屋跡(かのやイベント駐車場)」。
地頭仮屋が置かれた駐車場となっている辺り。
残念ながら遺構は全くありません。
比較的低地… 続きを読む
大崎は志布志と高山の中間地点にあり、
北郷氏、新納氏、肝付氏が奪い合った地。
最終的に島津家が肝付氏を降伏させ、
大崎は島津家の所領となっており、
比志島国守が初代地頭として赴任しました。… 続きを読む
串良麓はかつては串良院と呼ばれ、
島津家と肝付家が争っていた場所。
天正4年(1576)に島津家の領地となると、
島津忠長(宮之城家2代)に与えられました。
慶長4年(1599)には直轄地へと変わり、
藩は地頭を派遣して地頭仮屋を建設。
天明4年(1784)には困窮した甑島の郷士が、… 続きを読む
志布志麓は大規模な薩摩藩の外城。
その地頭仮屋が志布志御仮屋です。
藩より地頭が派遣されて行政を担い、
高鍋藩との藩境に位置していた為、
特に重要な拠点であったようで、
藩内で大之郷に位置付けられていました。… 続きを読む
栗野麓は室町時代に北原氏が治めた地で、
戦国時代に島津家がこれを奪い、
島津義弘が松尾城(粟野城)を拠点とし、
伊東義祐と戦って勝利しています。
江戸時代は薩摩藩の直轄地となり、… 続きを読む