元治元年11月4日。
高杉晋作は長州藩から亡命し、
福岡藩の脱藩浪士中村円太の案内の許、
筑前国博多に上陸しました。
晋作が上陸を果たしたのは上鰯町とされ、
上陸したであろう石段があります。
「高杉晋作筑前上陸地… 続きを読む
福岡県福岡市 高杉晋作筑前上陸地
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元治元年11月4日。
高杉晋作は長州藩から亡命し、
福岡藩の脱藩浪士中村円太の案内の許、
筑前国博多に上陸しました。
晋作が上陸を果たしたのは上鰯町とされ、
上陸したであろう石段があります。
「高杉晋作筑前上陸地… 続きを読む
淨満寺墓地の隅にある墓碑。
乙丑の獄の犠牲者のものもあります。
「贈正五位江上武要之墓(右から2番目)」。
福岡藩士江上栄之進武要の墓。
藩の儒学者江上苓洲の孫とされ、
江上六右衛門の次男であったという。
武芸に秀でて特に弓術は父の教えを受け、
非常に得意であったされています。… 続きを読む
淨満寺墓地の隅にある墓碑。
乙丑の獄の犠牲者のものもあります。
「贈正五位佐座謙三郎之墓(左端)」。
福岡藩士佐座謙三郎の墓。
佐座は福岡藩士佐座与平の長男に生まれ、
幼少より月形深蔵及び月形洗蔵父子に学び、
長じて筑前勤皇党… 続きを読む
正光寺の中村三兄弟の墓の前に、
筑前勤皇党の中村哲蔵の墓があります。
「贈正五位 中村哲蔵敬信夫婦之墓(左)」。
福岡藩士中村哲蔵敬信夫婦の墓。
幼くして両親を亡くして学問に勤しみ、
尊皇の大義を唱えるようになったという。
やがて筑前勤皇党に参加しましたが、
慶応元年に藩論が… 続きを読む
正光寺は唐人町にある浄土宗寺院。
慶長12年(1607)に見貞和尚により、
荒津山に建立されていましたが、
貞享元年(1687)に現在地に移転しています。
「本堂」。
境内には立江地蔵や有情観音のお堂があり、… 続きを読む
萬行寺の本堂横に石蔵卯平の墓があります。
卯平は博多の勤皇商人でしたが、
後に奇兵隊に入隊して活躍しました。
「歡光院殿正誉喜山居士
石蔵嘉左衛門家之墓
贈従五位石蔵卯平忠明之碑」。
石蔵卯平及び… 続きを読む
安國寺本堂横にある衣非茂記の墓所。
「贈従四位衣非茂記直正之碑」。
福岡藩士衣非茂記の墓。
大組士梶原景貫の三男に生まれ、
同衣非直章の婿養子となって家督を相続。
尊攘派の重臣として活動し、
長州征伐の際は両軍の周旋に尽力しました。
しかし藩論が一変すると佐幕派… 続きを読む