安國寺本堂横にある建部武彦の墓所。
「建部武彦墓」。
福岡藩士建部武彦の墓。
武彦は福岡藩士建部自福の長男に生まれ、
家督を継いで藩の諸役を勤めました。
元治元年には藩の正史として周旋にあたり、
征長軍と長州藩の間を取り持ち、
三条実美ら五卿… 続きを読む
「筑前勤皇党」タグアーカイブ
福岡県福岡市 若松屋(常盤館)跡
元治元年11月。
野村望東尼に匿われていた高杉晋作は、
三家老の切腹等の知らせを聞いて憤慨。
長州藩に戻る事を決意しました。
帰還には対馬府中藩の協力が必要で、
博多にあった同藩の蔵屋敷に行く為には、
警戒の厳しい番所を通らねばなりません。
この為に筑前勤皇党の同志らの助けを借り、… 続きを読む
鹿児島県鹿児島市 南林寺由緒墓/戸次彦之助墓
以前[南林寺由緒墓]を訪問した際に、
そこにあるそれぞれの墓碑を撮影しており、
ちょっとずつそれぞれを調べて、
少しずつUPしようと思っています。
今回は戸次彦之助の墓。
「戸次彦之助鑑繁墓(左)」。
福岡藩脱藩浪士戸次彦之助鑑繁の墓。
右は戸次の顕彰碑と思われます。
筑前勤皇党の一員だったようで、
慶応元年に佐幕派喜多岡勇平を暗殺し、
そのまま脱藩して薩摩に逃亡。… 続きを読む
福岡県福岡市 妙楽寺/福岡藩重臣墓所
妙楽寺は博多区御供所町にある臨済宗寺院。
正和5年(1316)に月堂宗規により開山し、
当時は北浜にあったようですが、
天正14年(1586)に戦火で焼失して、
現在地に再建されています。
「本堂」。
境内にはういろう伝来之地碑があり、
元の礼部員外郎陳延祐… 続きを読む
福岡県福岡市 節信寺/加藤司書墓所
福岡藩の尊攘派家老加藤司書は、
有事の際の藩主避難所の建設を提案。
福岡藩主黒田長溥もこれを承諾して、
犬鳴御別館の建設が開始されます。
しかしこれは尊攘派が実権を握る為、
長溥を幽閉する施設であるとして、
藩内佐幕派が注進した為に長溥は激怒。
乙丑の獄が発生して尊攘派は捕縛され、
首領格の司書や月形洗蔵を始め、
関係者140名以上が捕縛された末、
司書は… 続きを読む
福岡県福岡市 西公園/平野國臣像
中央区の西公園に平野國臣の像があります。
西公園は荒津山一帯を公園化したもので、
江戸期には東照宮が建てられていましたが、
維新後に廃社となりました。
明治14年に荒津山公園として整備され、
明治33年に西公園と改められた後、
黒田長政の祀る光雲神社… 続きを読む
福岡県宗像市 早川勇顕彰碑
吉武地区コミュニティセンターの手前に、
早川勇の顕彰碑(銅像)があります。
「維新之志士 早川勇顕彰碑」。
早川は遠賀郡の農家に生まれ、
月形洗蔵の叔父である月形春耕に学び、
福岡藩医板垣養永に医学を、
洗蔵の父月形深蔵に儒学を学びました。
江戸で… 続きを読む
