古屋佐久左衛門は筑後国の庄屋の子で、
当初の名前は高松勝次。
家業を嫌い医師を目指していましたが、
後に江戸で洋学も学んでおり、
その際に外国奉行川勝広道の知遇を得て、
御家人古屋久左衛門… 続きを読む
東京都台東区 谷中霊園/古屋佐久左衛門墓所
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古屋佐久左衛門は筑後国の庄屋の子で、
当初の名前は高松勝次。
家業を嫌い医師を目指していましたが、
後に江戸で洋学も学んでおり、
その際に外国奉行川勝広道の知遇を得て、
御家人古屋久左衛門… 続きを読む
十念寺は桑名市にある浄土宗の寺院。
天平宝字元年(757)に行基が創建したとされ、
当初は菰野町にあったようですが、
移転を繰り返して慶長年間(1596-1615)に、
現在地に移転したとされます。
「十念寺」。
実は以前に訪問した事があり、
三重県桑名市 箱館新選組隊士の墓を巡る
その際に森陳明… 続きを読む
吉祥寺にある榎本武揚の墓所。
「海軍中将子爵榎本武揚墓(右)」、
「慧鏡院殿皓林珂月大姉(左)」。
海軍中将榎本武揚の墓と妻多津の墓。
榎本は幕臣榎本武規の次男に生まれ、
蝦夷御用掛の… 続きを読む
青山霊園にある澤太郎左衛門の墓所。
野津家の墓所の隣にあります。
「従四位勲五等澤太郎左衛門
妻 長子 墓(右)」。
「澤累代之墓(左)」
澤は幕臣澤太八郎の長男として生まれ、
箱館奉行所に… 続きを読む
祥雲寺は福岡藩2代藩主黒田忠之が、
父黒田長政の菩提を弔う為に建立した寺院。
始めは赤坂の藩中屋敷に建てられましたが、
麻布市兵衛町への移転を経て、
寛文8年(1668)の大火で渋谷に再移転し、
現在に至っています。
黒田家に縁のある諸大名が菩提寺とし、
墓地には諸大名の墓が林立。… 続きを読む
安部公房の「榎本武揚」。
以前から気になっていたので、
長期出張前に図書館で借りて読みました。
北海道旅行に行った「私」は旅館の主人から、
消えた囚人300名の伝説を聞く。
護送中に脱走して共和国を創ろうとしたという。
その囚人らに関わった榎本武揚を主人は尊敬。
主人は元憲兵… 続きを読む