北陸街道」タグアーカイブ

福井県南条郡 板取宿跡

今庄宿より街道は2ルートに分れ、
木ノ根峠を越える道(西近江路)と、
栃ノ木峠を越える道(東近江路)があり、
後者の栃ノ木峠を越えるルートが一般的。
こちらの道がいわゆる北陸街道で、
国道365号線とほぼ同じルートとなり、
真っすぐな道が続きます。


板取宿」。
街道には無数の宿場町が設置されていますが、
大きな宿場間には小さな宿場(半宿)があり、
鉄道で例れば大きな駅と大きな駅の間には、
急行の停車しない小さな駅がありますが、… 続きを読む

福井県南条郡 二ツ屋宿跡

今庄宿を出た天狗党は北陸道を進み、
その途中にある二ツ屋宿で昼食を取った後、
さらに雪深い街道を進んだという。


南越前町二ツ屋周辺(二ツ屋跡の場所)
今庄杉津線(県道207)の新道から、
南へ延びる脇道に入り、
二ツ屋谷川に沿った森林の中にあります。


二ツ屋宿場跡」。
二ツ屋宿は近江から越前へ入る玄関口で、… 続きを読む

福井県南条郡 今庄宿跡

今庄宿北陸街道の宿場町で、
険しい峠道に向かう旅人はここで備え、
峠道を抜けた者はその疲れを癒しました。
もちろん参院交代でも利用され、
加賀藩福井藩などの北陸の大藩が、
この今庄宿に宿泊しています。


今庄宿」。
国道476号線より旧街道に入ると、
現在も宿場町の風景が色濃く残っています。… 続きを読む

新潟県柏崎市 椎谷宿跡

椎谷宿北陸街道の宿場町。
支配する椎谷藩の陣屋が置かれましたが、
椎谷藩は小藩で定府大名の為、
在郷藩士の数も少なかったようです。


椎谷宿(現地東屋の古地図より)」。
街道沿いの宿場町を見下ろすように、
椎谷藩の陣屋が建てられていました。


椎谷宿」。
街道沿いの家々は更新されていますが、… 続きを読む

福井県敦賀市 新保宿

尊皇攘夷を掲げた藤田小四郎らは、
挙兵して横浜港鎖港を要求してますが、
事態は内乱へと発展します。
那珂湊の戦いで敗北した為に、
武田耕雲斎を首領に置いて体制を整え、
一橋慶喜を頼って志を訴えようと、
中山道を通って京を目指しました。

追討軍と戦いながら風雪厳しい道を進み、
40日約1000kmの行軍の末に、
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