正定寺にある城代家老土井内蔵允家墓所。
「土井内蔵允家墓所」。
初代藩主土井利勝の同母弟土井元政は、
※利勝の義父土井利昌の実子で、
義兄だったともされます。
城代家老を勤めて3000石を拝領し、
主家の石高加減で変動はあったものの、
幕末期も3000石の禄高を得ていました。… 続きを読む
茨城県古河市 正定寺/土井内蔵允家墓所
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正定寺にある城代家老土井内蔵允家墓所。
「土井内蔵允家墓所」。
初代藩主土井利勝の同母弟土井元政は、
※利勝の義父土井利昌の実子で、
義兄だったともされます。
城代家老を勤めて3000石を拝領し、
主家の石高加減で変動はあったものの、
幕末期も3000石の禄高を得ていました。… 続きを読む
正定寺は古河市大手町にある浄土宗寺院。
寛永10年(1633)に土井利勝が創建し、
土井宗家の領内菩提寺となりました。
※古河市下大野にも正定寺がありますが、
こちらも土井宗家の菩提寺です。
「赤門」。
正定寺の南側にある赤門。
安永4年(1775)に8代当主土井利里が建立。
他にも東側に… 続きを読む
古河城は古河藩の藩庁ですが、
その起源は平安末期か鎌倉初期とされ、
御家人下河辺行平が築城したようです。
室町期には古河公方足利成氏が本拠とし、
江戸時代には譜代大名が入れ替わり、… 続きを読む
孝顕寺は結城家15代結城政朝が創建し、
始めは永正寺を称していましたが、
結城家を継いだ徳川家康の次男結城秀康が、
現在地に移転させ孝顕寺と改称しています。
秀康が越前に転封となった際も、… 続きを読む
結城藩江戸家老水野甚四郎の墓が、
結城市の光福寺にあります。
甚四郎は藩主家支流の家老家出身で、
佐幕派の江戸家老でした。
幕府崩壊後もその姿勢は変わらず、
国許の恭順派家老小場兵馬の進言により、
一時的に罷免されますが、
藩主水野勝知が元々佐幕思想であった為か、
再び勝知を説得して旧幕府を支持させます。
この動きに驚いた国許恭順派は、… 続きを読む
下総国結城郡は結城家の治めた地で、
源頼朝に仕えた小山朝光が地頭に任じられ、
結城朝光を名乗って家祖となっています。
朝光は平家追討軍にも参加しており、
壇之浦の戦いにも参加。
結城城は朝光によって築城された城で、… 続きを読む
下館城は室町時代に築城された城で、
結城氏広の家臣水谷勝氏が下館を与えられ、
築城したのが始まりとされますが、
藤原秀郷が平将門追討の際に、
築城したともされます。
江戸時代に入っても水谷家の居城でしたが、
2代藩主水谷勝隆が成羽藩… 続きを読む