谷中霊園へ三度目の訪問です。
今回も幕末の人物及び大名家の墓を参拝。
まずは一宮藩加納家の墓から。
「加納家歴代之墓」。
一宮藩加納家墓所は新宿の戒行寺でしたが、
整理されて谷中霊園に改葬されています。
被葬者の墓碑銘がありませんので、
どこまで入っているか不明。
最低でも… 続きを読む
東京都台東区 谷中霊園/一宮藩加納家墓所
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谷中霊園へ三度目の訪問です。
今回も幕末の人物及び大名家の墓を参拝。
まずは一宮藩加納家の墓から。
「加納家歴代之墓」。
一宮藩加納家墓所は新宿の戒行寺でしたが、
整理されて谷中霊園に改葬されています。
被葬者の墓碑銘がありませんので、
どこまで入っているか不明。
最低でも… 続きを読む
鶴牧藩水野家は沼津水野家の分家で、
初代水野忠位が大坂定番に任じられ、
加増されて諸侯に列した家系です。
次代水野忠定が安房国に北条藩を立藩し、
北条藩として3代続いており、
4代水野忠韶… 続きを読む
請西藩は始め貝淵に陣屋を設け、
貝淵藩と呼ばれてましたが、
2代藩主林忠旭が藩庁を請西に移し、
真船という台地に真武根陣屋を建設。
それ以降請西藩と呼ばれています。
移転した後の貝淵陣屋もそのまま置かれ、
行政機関として機能したようで、… 続きを読む
請西藩は藩主自ら脱藩して新政府に抵抗し、
戊辰戦争で唯一改易となった藩。
藩主林忠崇の行動で新政府の怒りを買い、
改易という重い処分が下されていますが
藩主が国許から離れて抵抗した例は、
桑名藩、備中松山藩等数例あり、
これらは改易処分となっていません。… 続きを読む
真勝寺にある久留里藩士杉木良太郎の墓。
「勇猛院須覺良悟信士」。
久留里藩士杉木良太郎の墓。
福田八郎左衛門が率いる撤兵隊は、
慶応4年4月に江戸を脱出し、
久留里北側の真里谷に駐屯していました。
久留里藩では彼らの要請に応じ、
藩兵の派遣を準備していましたが、
新政府軍… 続きを読む
久留里藩黒田家は福岡藩黒田家とは別系で、
三河国八名郡黒田郷を本拠とした一族。
戦国末期の当主大橘定綱を祖とし、
子の大橋広綱が黒田姓に改称したという。
広綱の子黒田久綱は駿河今川家に属し、
久綱の子… 続きを読む
大多喜城は大多喜藩の藩庁。
大永元年(1521)に真里谷信清が築城し、
小田喜城と称したことに始まります。
信清の次代真里谷朝信は、
里見家家臣正木時茂によって攻められ、
小田喜城を奪われており、
以後は正木信茂、… 続きを読む