真勝寺にある久留里藩士杉木良太郎の墓。
「勇猛院須覺良悟信士」。
久留里藩士杉木良太郎の墓。
福田八郎左衛門が率いる撤兵隊は、
慶応4年4月に江戸を脱出し、
久留里北側の真里谷に駐屯していました。
久留里藩では彼らの要請に応じ、
藩兵の派遣を準備していましたが、
新政府軍の侵攻で撤兵隊が逃走した為、
藩論は転じて恭順へと移行。
これに憤慨した杉木良太郎は、
単身で新政府軍に斬り込もうとします。
これを父杉木良蔵が諭しますが、
良太郎の決意が変わらない為、
泣く泣く我が子を斬ったという。
一説には新政府軍は既に領内に侵攻し、
その兵卒が久留里の腰抜け侍と言ったのを、
良太郎が陰で聞いて激怒したとか。
猪武者のように何も顧みずに行動する事は、
美徳に見えますが蛮行でもあります。
侍は主君に仕えてこその侍ですので、
主君が死ねと言えば喜んで死に、
生きろと言えば屈辱に耐えて生きるもの。
良太郎が一人で斬り込もうとしたのは、
久留里武士の名誉を守ろうとした為で、
父親の行動は主君に迷惑を掛けさせない為。
どちらも武士として故の行動であり、
それは悲劇となってしまいますが、
父子のこの行動で久留里武士の体面が、
保たれたのは間違いありません。
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