鸕鶿草葺不合尊の四人の息子達は、
日向国から東征を開始し、
浪速国の白肩津に到着しますが、
待ち構えていた長髄彦の軍勢と交戦し、
長兄の彦五瀬命は矢を受けてしまいます。
彦五瀬命は「我々は日の神の御子だから、
日に向かって戦うのはよくない。
廻り込んで日を背にして戦おう」と提案。
一行は廻り込む為に南に向かいますが、
彦五瀬命は矢傷が悪化して死んでしまいます。
※次男稲飯命、三男三毛入野命は、
その後に暴風雨で脱落しており、
後に四男の磐余彦尊が東征を完遂し、
日本国を建国して神武天皇となりました。
彦五瀬命は竈山に葬られたとされ、
和歌山市和田にある竈山墓が、
その彦五瀬命の墓であると、
宮内庁によって治定されています。
「竈山神社」。
竈山墓の南麓に鎮座する神社で、
彦五瀬命の神霊を祀っています。
明治初期までは小さな社でしたが、
神武天皇の長兄を祀る神社という事で、
社殿の整備が行われており、
社格も官幣大社に位置づけられました。
竈山神社の東側を通る県道136号線より、
竈山墓への橋が掛けられており、
この橋が拝所への参道となっています。
「竈山墓」。
竈山神社の本殿後背にある古墳で、
彦五瀬命の墓と治定されています。
高さ約9mの小山の上に、
直径約6m、高さ約1mの円墳があり、
裾に護石を配しているとのこと。
●天皇陵
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