鹿児島県」カテゴリーアーカイブ

鹿児島県鹿児島市 島津家常安墓所

島津宗家の墓所は福昌寺跡にあり、
6代から28代までの当主の墓があります。
しかし29代当主島津忠義(12代藩主)は、
裏山の常安峰に墓所が営まれており、
以降の宗家の墓所となりました。


島津家常安墓所」
残念ながら非公開で門前のみ。
昔は入れたようなのですが、
何年か前に立ち入れなくなった模様。


閉じられた門から覗きますが、
墓所は全く見えません。… 続きを読む

鹿児島県鹿児島市 多賀山公園/東郷墓地

日本海海戦バルチック艦隊を撃破し、
日露戦争を勝利に導いた英雄東郷平八郎
昭和9年に死去して国葬されており、
多磨霊園に埋葬されていますが、
故郷の鹿児島遺髪墓が建てられています。


多賀山公園続きを読む

鹿児島県鹿児島市 津友寺跡/島津忠治墓跡

島津宗家12代当主島津忠治は、
吉田城主吉田位清との戦いの陣中で病死。
佐多浦の津友寺に埋葬されました。

津友寺は廃仏毀釈により廃寺。
跡地に参道や墓地が残っています。

津友寺跡」。
入口には西南戦争の招魂碑がありましたが、… 続きを読む

鹿児島県鹿児島市 吉田地頭仮屋跡

吉田麓薩摩藩直轄の外城。
元々は豪族吉田氏の領地でしたが、
後に島津家の所領となりました。
吉田は大隅国西部への足掛かりとして、
蒲生氏との戦いの侵攻拠点として機能。
後に島津歳久の所領となっており、
天正8年(1580)以降は直轄地となりました。


吉田御仮屋跡(吉田小学校跡)」。… 続きを読む

鹿児島県姶良市 重富宿跡

重富宿薩摩街道高岡筋の宿場。
鹿児島城下に向かう最後の宿場で、
難所である白銀坂の手前にあります。
鹿児島へ行く者は英気を養い、
白銀阪を下って来た者は疲れを癒し、
旅人で賑わいを魅せた場所でした。


姶良市脇元周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが重富宿跡。


重富宿跡」。
現在の重富宿跡は住宅地となっており、
その面影は感じられませんが、
唯一… 続きを読む

鹿児島県姶良市 蒲生地頭仮屋跡

蒲生麓薩摩藩直轄の外城で、
鹿児島城下から五里半の位置にありました。
別府川蒲生川の間に麓集落が形成され、
現在も景観をよく残しています。
江戸中期に形成された比較的新しい麓で、
それ故に機能的な町割りとなっている模様。


蒲生地頭仮屋跡」。
蒲生地頭仮屋跡は… 続きを読む

鹿児島県姶良市 帖佐地頭仮屋跡

帖佐島津義弘居館があった地で、
豊臣秀吉太閤検地後に義弘に与えられ、
その居館(御屋地)が建てられました。
後に義弘は平松城(後の重富御仮屋)に移住し、
その居館を長女の千鶴に与えた為、
千鶴は[… 続きを読む