道隆寺は肝付町新富にあった臨済宗寺院。
南宋の僧蘭渓道隆が開山したとされ、
領主だった肝付家の菩提寺となりました。
明治初頭に廃仏毀釈で廃寺となりますが、
後に有志や土地所有者が整備し、
石塔類の発掘や復元… 続きを読む
鹿児島県肝属郡 道隆寺跡
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道隆寺は肝付町新富にあった臨済宗寺院。
南宋の僧蘭渓道隆が開山したとされ、
領主だった肝付家の菩提寺となりました。
明治初頭に廃仏毀釈で廃寺となりますが、
後に有志や土地所有者が整備し、
石塔類の発掘や復元… 続きを読む
吾平山上陵は鸕鶿草葺不合尊の皇族陵で、
宮内庁によりその治定地とされています。
鸕鶿草葺不合尊は神武天皇の父で、
彦火火出見尊と豊玉姫命の子。
西州之宮という場所で崩御し、
吾平山上陵に埋葬されたと伝わるのみで、… 続きを読む
大崎は志布志と高山の中間地点にあり、
北郷氏、新納氏、肝付氏が奪い合った地。
最終的に島津家が肝付氏を降伏させ、
大崎は島津家の所領となっており、
比志島国守が初代地頭として赴任しました。… 続きを読む
志布志市有明町蓬原にある普現堂湧水源は、
[蓬の郷 親水公園]内にある湧水。
大隅半島の特徴であるシラス台地より、
3456t/日の清水が湧き出しています。
「親水公園」。
3つの池で形成されている公園で、
写真の池が一番下の下池… 続きを読む
島津氏久は5代当主島津貞久の四男で、
島津宗家6代当主及び奥州家初代当主。
嫡嗣であった島津宗久が早世した為、
貞久は三男島津師久に薩摩守護職を、
四男の氏久に大隅守護職を譲り、
自らの所領を分割統治させます。… 続きを読む
志布志麓は大規模な薩摩藩の外城。
その地頭仮屋が志布志御仮屋です。
藩より地頭が派遣されて行政を担い、
高鍋藩との藩境に位置していた為、
特に重要な拠点であったようで、
藩内で大之郷に位置付けられていました。… 続きを読む
栗野麓は室町時代に北原氏が治めた地で、
戦国時代に島津家がこれを奪い、
島津義弘が松尾城(粟野城)を拠点とし、
伊東義祐と戦って勝利しています。
江戸時代は薩摩藩の直轄地となり、… 続きを読む