敷根麓には薩摩街道高岡筋の宿場が置かれ、
現在の国道220号線が街道筋だったようで、
その北側に馬場があったようです。
国分敷根周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが敷根宿跡。
「敷根宿跡」。
石柱門や石塀が少し残っていますが、
幹線道路の為に遺構はあまり無し。… 続きを読む
鹿児島県霧島市 敷根宿跡
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敷根麓には薩摩街道高岡筋の宿場が置かれ、
現在の国道220号線が街道筋だったようで、
その北側に馬場があったようです。
国分敷根周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが敷根宿跡。
「敷根宿跡」。
石柱門や石塀が少し残っていますが、
幹線道路の為に遺構はあまり無し。… 続きを読む
富高は元々延岡藩領だったようですが、
元禄5年(1692)に幕府直轄領となり、
富高代官所が置かれました。
宮崎県日向市 富高代官所陣屋跡
「富高宿跡」。
現在の県道226号線沿いが日向街道。
片側2車線の広い道路となっており、… 続きを読む
土々呂は延岡藩領に属す漁村で、
古くは櫛津村、土々呂村の2ヶ村でしたが、
正徳年間(1711-1716)に1つの村となりました。
以降は土々呂櫛津村や土々呂村と呼ばれ、
300余石の石高があったとされます。
土々呂湊の擁する漁村ながら、
藩の口番所も置かれていたようで、
出入りの船舶から口銀を徴収。… 続きを読む
延岡宿は日向街道の宿場で、
延岡城の城下に置かれていました。
延岡駅周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが延岡宿跡。
「延岡宿跡」。
一通り歩いてはみましたが、
何ら残ってはいないようです。
飲食店がある程度あるのが、
唯一の名残かもしれません。
■日向街道の宿場町
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・宮崎県延岡市 延岡城跡… 続きを読む
長井は五ヶ瀬川の支流北川中流域にあり、
古代の西海道の頃より駅が置かれました。
江戸期は延岡藩領だったようです。
北川町長井周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが長井宿跡。
「長井宿跡」。
古くから街道の片側が住宅で、… 続きを読む
犬飼は川港が置かれた水運の要所ですが、
大分県豊後大野市 犬飼湊
陸路の日向街道も通っていた為、
水運及び陸運に重要な場所でした。
これは現在でも同様のようで、
中九州横断道路の犬飼ICが設置され、
国道10号線、57号線… 続きを読む
犬飼湊は大野川流域にあった川港で、
現在の竹田市に拠点を置いた岡藩が、
城下に送る物資の陸揚げや、
参勤交代時の河路の発着地とした場所。
「犬飼湊」。
大野川西岸に船着場が設置され、… 続きを読む