玉名郡長洲町にある立花誾千代の墓。
この墓は[ぼたもちさん]として親しまれ、
現在も地域の人々に管理されているという。
立花誾千代は立花道雪の一人娘で、
後継男子のいなかった道雪は、
誾千代に家督を相続させました。
後に高橋紹運の息子立花宗茂と結婚し、
その家督を夫に譲りますが、
紛れもなく立花家当主… 続きを読む
熊本県玉名郡 ぼたもちさん
コメントを残す
玉名郡長洲町にある立花誾千代の墓。
この墓は[ぼたもちさん]として親しまれ、
現在も地域の人々に管理されているという。
立花誾千代は立花道雪の一人娘で、
後継男子のいなかった道雪は、
誾千代に家督を相続させました。
後に高橋紹運の息子立花宗茂と結婚し、
その家督を夫に譲りますが、
紛れもなく立花家当主… 続きを読む
高瀬藩は熊本藩の支藩。
寛文6年(1666)に熊本藩3代藩主細川綱利が、
実弟細川利重に蔵米3万5000石を分与し、
熊本新田藩として立藩させています。
参勤交代を行わない定府大名だったようで、
藩主は江戸の鉄砲洲… 続きを読む
孔子廟は儒教の開祖孔子を祀る霊廟。
儒教は本来宗教に属する教えですが、
日本では儒学として受け入れられ、
宗教より学問的な意識が強かったようで、
藩校等に付随して孔子廟が建てられました。
この為日本の孔子廟の殆どは、
学問の精神的支柱となっていましたが、… 続きを読む
剣豪宮本武蔵は晩年熊本藩に迎えられ、
熊本城東部に屋敷を与えられており、
その余生を過ごしています。
熊本藩初代藩主細川忠利は武蔵に対し、
破格の待遇を与えていたようで、
鷹狩りも許可されていたという。
2代藩主細川光尚も同様に接したとされ、
悠々自適な生活をしていたようですが、
やがて金峰山… 続きを読む
小峰墓地は熊本市中央区黒髪の市営墓地。
非常に草深いところであったとされ、
熊本城の鬼門(丑寅)にあたります。
かつては陸軍墓地があったようで、
西南戦争から大東亜戦争までの戦死者が、
ここに葬られていたという。
現在は墓地公園として整備されており、… 続きを読む
泰勝寺跡にある四つ御廟より、
泰勝寺歴代住職の墓域に行けますが、
そこにある2代住職春山和尚の墓の隣に、
宮本武蔵の供養塔とされる塔があります。
「伝 宮本武蔵供養塔」。
宮本武蔵は二刀流(二天一流)で知られる剣豪… 続きを読む