大分県」カテゴリーアーカイブ

大分県豊後高田市 昭和の町

豊後高田大正昭和期に大きく発展し、
賑わいを魅せた町でしたが、
昭和30年以降は人口が減少に転じ、
商店街は徐々に寂れていきました。
しかし平成12年頃から活性化が模索され、
昭和30年代の面影の残る町をテーマに、
[昭和の町]として観光地化。
現在は年間40万人が訪れるようです。


豊後高田 昭和の町」。
昭和30年代築の建物が並びます。
写真はそれっぽくないですが、… 続きを読む

大分県豊後高田市 高田陣屋跡

島原藩の6万5000石の領地のうち、
2万7500石が豊前国及び豊後国にあり、
[豊州領]と呼ばれた飛地だったようです。
※豊後国国東郡1万4000石と、
 豊前国宇佐群1万3500石。

藩の総石高の4割が[豊州領]にあった事や、
周防灘に面する交通の要所続きを読む

大分県国東市 三浦梅園墓所

梅園塾跡より南側に進んで三浦梅園墓所へ。
元々三浦家の墓所は旧宅の北側山中でしたが、
宝暦10年(1760)に梅園が父の墓を改葬し、
現在地に墓所を営んだようです。


贈従四位三浦梅園先生頌徳碑」。
墓所への参道途中にある頌徳碑
明治45年(1912)に従四位を追贈されており、
これを記念して建てられたもの。


「… 続きを読む

大分県国東市 三浦梅園旧宅

三浦梅園江戸時代中期の学者で、
帆足万里広瀬淡窓と並び、
[豊後三賢人]と称される人物です。
上記2人は江戸後期の人物で、
幕末初期には生存していましたが、
梅園は寛政元年(1789)に死去しており、
幕末の人物ではないのですが、
豊後三賢人のコンプリートの為に、… 続きを読む

大分県杵築市 立石陣屋跡

立石陣屋交代寄合立石木下家の本拠。
木下家豊臣秀吉の正室高台院の実家で、
元々は杉原氏を名乗っていましたが、
秀吉に重用されて豊臣姓木下氏を名乗り、
その姻戚として厚遇されています。
豊臣家滅亡後も紆余曲折あったものの、
大名として足守藩主及び日出藩主続きを読む

大分県杵築市 長流寺/立石木下家墓所②

/②
つづき。

同じく資料が少なく写真と少々の逸話のみ。

卽心顯宗」。
5代当主木下俊恵の墓。
安永10年(1781)、死去。


温恭義俊」。
6代当主木下俊昌の墓。
安永8年(1779)、死去。
5代までの当主の遺骸は泉岳寺続きを読む

大分県杵築市 長流寺/立石木下家墓所①

①/

長流寺は杵築市山香町にある曹洞宗寺院。
交代寄合立石木下家の菩提寺で、
歴代当主の墓所が営まれています。
立石木下家は日出藩木下家の分家で、
日出藩初代藩主木下延俊が2代木下俊治に、
1万石を四男木下延由に分知する事を遺言。… 続きを読む