戸次は古来より交通の要所であり、
日向街道沿いの宿場として栄え、
市場が開かれて在郷町として発展。
これを支配していたのは臼杵藩でした。
「戸次本町 町並み散策マップ」。
現地の案内板より。
戸次本町は古い町並みの残っており、
往時の姿を残しています。
戸次本町周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが戸次宿跡。
南側より散策。
「旧国立二十三銀行出張所… 続きを読む
「大分県」カテゴリーアーカイブ
大分県大分市 毛利空桑墓所
大分市常行に毛利空桑の墓所があります。
毛利家は代々鶴崎で医者をしていた家系で、
父の毛利太玄は苦学の末に医学を極め、
熊本藩の藩医を務めた他にも、
杵築藩、岡藩、日出藩にも招かれた名医。
空桑はその太玄の次男でした。
「毛利家墓所… 続きを読む
大分県大分市 大手通り
府内城の大手通りは「遊歩公園通り」と称し、
大分ゆかりの碑が多く建てられており、
今回はこの「遊歩公園通り」の碑を巡ります。
南側より散策。
「育児院と牛乳の記念碑」。
府内に育児院が建てられた事と、
育児院で牛乳が飲まれた事を記念する碑。
弘治3年(1557)… 続きを読む
大分県大分市 府内宿跡
府内宿は府内城下町に置かれた宿場。
街道は大分市街を通っていた為、
その遺構は殆どありません。
大分市街周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが府内宿跡。
「府内宿跡」。
宿の中心であったと思われるサンサン通り。
遺構は全く無く多くのビルや店舗が建っています。
ちなみに地図上左側の南北に伸びる筋は、
既に道さえ無く待っていました。
大手通りを過ぎると店舗は少なくなり、
住宅やマンションが増えてきます。
街道沿いに碑があります。… 続きを読む
大分県大分市 大分社
大分社は大分市羽田に鎮座する神社で、
大分稚臣及び豊門別命を祀っています。
天武天皇元年(672)の壬申の乱において、
大海人皇子の軍に参加して戦い、
瀬田の戦いで戦功を挙げた人物。
滋賀県大津市 瀬田の唐橋
その武勲を讃えるために創建されたとされます。
「鳥居」。
広くは無い境内の南側に立つ2つの… 続きを読む
大分県大分市 野津原宿跡
野津原宿は豊後(肥後)街道の宿場町で、
加藤清正が設けた5ヶ所の宿場町のひとつ。
大分市野津原周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが野津原宿跡。
国道442号線を一ノ瀬橋を渡った辺りから、
北へ向かい西側から散策。
「新町」。
比較的新しく発展した新町。
町屋が軒を連ねていたようですが、… 続きを読む
大分県大分市 今市宿跡
今市宿は豊後(肥後)街道の宿場町で、
岡藩領の属していました。
道筋には藩政時代の石畳が残されており、
貴重な交通遺跡となっています。
大分市今市周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが今市宿跡。
現地案内版より。
何屋があったのか記載されています。
今市宿は中央に桝形のあるタイプ。
南側より散策。
「下町… 続きを読む