中川久貞墓所のある小富士山の東側。
道沿い約700m東に幾と、
岡藩の一門家老家の墓所があります。
「中川氏源久豊塔」。
一門家老中川久豊の墓。
名君とされる3代藩主中川久清の次男で、
4代藩主中川久恒の弟にあたります。
久清は久恒に家督を譲って隠居し、
没後はその隠居領を次男久豊、
四男中川久和、五男中川久旨、
七男中川久周に分配するよう遺言。
それぞれが一門家老家となりました。
久豊は一番多い2000石与えられ、
家老家の筆頭となっており、
4代藩主久恒を補佐しています。
「中川氏源久虎塔」。
一門家老中川久虎の墓。
久虎は久豊の息子で次代当主。
後に娘の於久は7代中川久慶の養女となり、
8代中川久貞の正室となりました。
久豊と久虎の墓所の道路向いに、
中川久照の墓があります。
「中川監物久照君墓」。
一門家老中川久照の墓。
8代久貞や9代中川久持に仕えた家老で、
久豊や久虎と同家系と思われますが、
詳しくはよくわかりません。
これらは全て伏墓風の儒式墓。
これ程の山奥に営まれているのは、
やっぱり勘ぐってしまいます。
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