①/②/③/④
つづき。
嘉永6年10月10日。
①大阪より早に舟を発して、
②高砂に到りて泊す。
嘉永6年10月11日。
早に舟を発して③日比に到りて泊す。
※上記2日は舟中泊の模様。… 続きを読む
伝馬町獄舎は罪を犯した囚人達を、
集めて収容した施設で、
2618坪の敷地の周囲に掘が巡らされ、
その内を煉塀で囲んでいたという。
牢獄は東牢と西牢に分かれており、
東牢の大牢と二間牢… 続きを読む
揖斐川は古くから舟運に利用され、
上流の大垣や下流の桑名等へ、
物資の運搬や交通が行われていました。
川筋の各所には船着場が設けられており、
今尾の渡しもその一つだったようです。
今尾は大垣と桑名の間に位置する要所で、
大きな市も開かれていたとされ、
尾張藩御附家老竹腰家の陣屋町でもあり、… 続きを読む
有名な吉田松陰の[河豚食わざるの記]。
※原文は不食河豚説。
これを読んでみたいと思います。
世言河豚有毒矣、
世にいう河豚には毒があると。
其嗜之者特衆、
それでもこれを好む者は多い。
余獨不食、非懼死也、懼名也、
余は死を恐れず名を恐れるので食べない。
夫死者、人之所必有、
死は必ず人のところにやって来るが、
固不足懼也、
これを皆恐れない。
然死生亦大矣、… 続きを読む
京都府立図書館の敷地に、
吉田松陰の詩碑が建てられています。
「吉田松陰拝闕詩碑」。
明治41年の松陰五十回忌を記念し、
京都府教育会が建立した詩碑。
松陰が江戸から長崎へ赴く途中、
御所を拝した時の事を詠んだ漢詩です。
山河襟帯自然城東来無不日憶
神京今朝盥嗽拝鳳闕野人悲泣不能行
上林零落非復昔空有山河無変更聞説… 続きを読む