吉田松陰の浦賀行②

/②/
つづき。

6月6日
早起きして加茂井に至り海を望む。
陸から十町程離れた場所に、
賊艦が四隻停泊している。
お互いの距離は皆5町程で、
そのうち二隻が蒸気船
Susquehanna(サスケハナ)、
 Mississippi(ミシシッピ)の二隻。

蒸気船は40間程、砲30余門装備、
二隻はコルヘツット船
Saratoga(サラトガ)、
 Plymouth(プリマス)の二隻。

コルヘツット船は24~5間、砲26門装備、
どの船も皆静かであったが、
時報の砲声が聞こえた。
而して我が国に諸砲台は、
大砲が未だ未配備であり、
川越藩所管の蔦巣亀崎鳥崎等は皆、
帷幕で隠されて兵が守っている。
加茂井[西浦賀]には会津藩船兵、
西浦賀彦根藩船兵が守っている、
賊は明日午時までに要求を聞かなければ、
砲火を交えんと言っているという。
奉行土田伊豆守は陣を張った寺を清め、
※戸田伊豆守氏栄。
曰く「事がもし上手くいかなければ、
切腹するのみ、我が首を賊に掴ませよ
」と。
また4隻のうちの蒸気船の1隻が、
江戸に入ったと聞き、
佐久間象山は急遽江戸に帰った。
しかし賊戦は帰って来て同じ場所に戻る。
或いはこれは誤報かもしれないが、
賊が初めて来た際、
與力通詞がその艦に乗り込み、
※與力中島三郎助、通詞掘達之助
賊は国書を持っているという。
そこには三条あるとされ、
其一は陸に石炭所を設置する事、
其一は通商を締ぶ事、
其一は通交を締ぶ事という。
しかしその書は彼の国主の手書の為、
厳重に封刺されているらしく、
奉行が乗船するのを待って、
そのうえで提出すると言っているらしい。
興力と通詞は前例が無いことであると、
これを拒んだようだが、
夷の頭目曰く「我は国において賤員にあらず、
奉行でなければ国書は渡せん
」と。
興力と通詞は幕府に上奏してしかる後、
その対処を成すこととする。
而して官府の令は国体を恥しめず、
禍変を起こさぬ事
を主とし、
決してこれを怠る事無いようにとのこと。
聞く、賊は脚船をおろし、
燈籠台及び観音崎に1~2名上陸する。
守兵が威嚇すると賊は砂を握り、
これを吹いて散らして笑って去ったという。
或いは云う。賊はおそらく我らの事を、
砂のようなものだと嘲たのだと。
果たして然るや否や。
  〇
 この度は異国船渡来に付つき、
 警備が追々厳重になる事により、
 当然町の者共は心配しているようだが、
 心配するに及ばないので、
 家業の差し止めも行わない。
 心穏やかにしているように。
 右の通り一同に触れる旨お渡し下さい。
 6月6日           町頭
 ※町頭が6月6日に出した触書。
 備前守殿御渡六日の触
  大目付 堀伊豆守へ
 今度浦賀表に異国船渡来に付き、
 万が一内海に乗り入れる可能性のある間、
 その様な場合は芝辺りより品川まで、
 最寄りの屋敷がある大名は、
 各自屋敷を固めるよう心得る様、
 もれなく至急指示しておく事。

 ※老中牧野備前守忠雅の触書。

つづく。
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