福岡県久留米市 西岸寺/水野家墓所

久留米藩尊攘派首魁水野正名は、
王政復古後に藩政を主導しており、
佐幕派を粛清して改革を行いますが、
久留米藩難事件で終身禁獄となって、
明治5年に弘前で獄死しています。
その遺骨は正源寺墓地に埋葬されますが、
先祖代々の墓所は西岸寺にありました。


本堂」。
西岸寺は久留米で約360年続く浄土宗寺院。
寛永元年(1624)に洗切(現洗町)で創建され、
正保4年(1647)に京隈(現京町)に移転。
更に寛文10年(1670)に現在地に移りました。
現在の本堂は昭和33年の再建とのこと。
立派な納骨堂を備えたお寺で、
猫が多くいる寺」、「多くの花で有名な寺」、
境内が通学路となっている寺」とのこと。
訪問時はとても寒い日だった為か、
猫もいなかったし、花も咲いておらず、
人も歩いてませんでした。


水野家墓所」。
境内墓地にある水野家の墓所。
水野家は唐津藩寺澤家の家臣だった家で、
主家の断絶により浪人となった後、
久留米藩2代有馬忠頼に取り立てられて、
馬廻衆200石として仕えた家。
後に中興水野政樹の功で加増され、
500石取りとなっています。
この水野家は初代水野政継より、
水野政愛水野直政水野正睦
水野正武、水野政樹、水野正甫
水野正芳、水野正名と続きました。
墓碑名は風化して読めないものが多く、
特定できないものもありますが、
たぶん当主は揃っていると思います。


水野正名妻貞子之墓(左)」、
水野九十郎正篤之墓(右)」。
水野正名の妻貞子の墓と、
水野九十郎正篤の墓。
貞子は明治12年没で29歳ですので、
正名の死亡した明治5年時は22歳。
※正名は享年50歳です。
晩年に嫁いだ後妻のようですが、
正源寺墓地の正名の墓の傍には葬られず、
代々の墓所に葬られました。
久十郎は正名の義弟でしたが、
安政3年に早逝したようです。

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