晧臺寺の墓域のかなり上の方に、
町年寄高島家の墓所があります。
この高島家は高島流砲術の創始者で、
幕府より重用された高島秋帆を排出。
高島家は後に断絶となりますが、
墓も門人により建立されています。
高島家の先祖は近江国高島郡出身で、
近江源氏… 続きを読む
「長崎県」カテゴリーアーカイブ
長崎県長崎市 大音寺/松波正房墓所
在任中に死去した長崎奉行は数人いるようで、
これについて2度程記事にしています。
長崎県長崎市 皓臺寺/長崎奉行の墓
長崎県長崎市 大音寺/松平図書頭墓所
今回晧台寺横の幣振坂を登った際、
巨大な墓石を見つけたので墓碑を見ると、
長崎奉行だった松波正房のものだった為、
わざわざ遠回りして参拝いたしました。
※幣振坂からは墓域には行けません。… 続きを読む
長崎県長崎市 近藤昶次郎顕彰碑
眼鏡橋の近く中島川沿いに、
近藤長次郎の顕彰碑が建てられています。
「近藤昶次郎顕彰碑」。
平成23年に建立された顕彰碑で、
近藤長次郎顕彰会によるもの。
碑には長次郎が身重の妻お徳に、
送った最後の句が刻まれています。
うき雲の
たちおほふなる
うきよなり
きへなハこれを
可たみともみよ
訳:憂き雲が立ち覆うている、… 続きを読む
長崎県長崎市 眼鏡橋
眼鏡橋は中島川に架かる石造二連アーチ橋。
日本初の石造アーチ橋とされており、
水面に映しだされた姿と本体が、
眼鏡に見えた為に眼鏡橋と呼ばれました。
「眼鏡橋」。
寛永11年(1634)に架橋されたもので、
興福寺2世黙子如定が建造させました。… 続きを読む
長崎県長崎市 大音寺坂
長崎市賑町にある大音寺坂の名称は、
かつて坂上に大音寺があった事に由来。
元々坂上にはミゼリコルディア本部があり、
キリシタンの福祉施設となっていましたが、
後のキリシタン弾圧で破壊されたようで、
その跡地に大音寺が建立されました。
寛永15年(1638)に大音寺は移転し、
天満宮が置かれて天満坂ともよばれますが、… 続きを読む
長崎県南松浦郡 冷水教会
冷水教会は奈摩湾西岸にある教会で、
明治40年に建設された木造建築物。
鉄川与助が棟梁として初めて携わり、
現在も現役の教会として聳えています。
「冷水教会」。
奈摩湾を見下ろす小高い場所に建つ教会。
煉瓦造りの青砂ヶ浦天主堂に対し、
純然なる木造建築です。
内部は撮影禁止だったのですが、… 続きを読む
長崎県南松浦郡 石工先駆者の墓
中通島北東部に位置する崎浦地域は、
赤尾、友住、頭ヶ島、江ノ浜のからなり、
半農半漁を生業としていた地域でしたが、
江戸後期に海岸に露出する砂岩質を、
採石して加工する石材業… 続きを読む