松浦史料博物館は旧平戸藩松浦家の住居で、
平戸城が完成するまでの御館跡。
藩主の転居から松浦家が居館を建てるまで、
何らかの施設となっていたようですが、
あまり詳しく判っていません。
「松浦史料博物館」。
松浦史料博物館は平戸藩主松浦家と、
平戸の歴史史料を収蔵した博物館。
昭和30年に39代松浦陞より寄贈され、
改装されて博物館となっており、… 続きを読む
長崎県平戸市 松浦史料博物館
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松浦史料博物館は旧平戸藩松浦家の住居で、
平戸城が完成するまでの御館跡。
藩主の転居から松浦家が居館を建てるまで、
何らかの施設となっていたようですが、
あまり詳しく判っていません。
「松浦史料博物館」。
松浦史料博物館は平戸藩主松浦家と、
平戸の歴史史料を収蔵した博物館。
昭和30年に39代松浦陞より寄贈され、
改装されて博物館となっており、… 続きを読む
平戸藩3代藩主松浦隆信は、
2代松浦久信と正室そのの長男に生まれ、
父が早逝した為に12歳で跡を継ぎます。
母のそのは熱心なキリシタンで、
隆信は幼少期に洗礼を受けていましたが、
幕府による禁教令で棄教し、
領内でキリシタンの弾圧を行いました。… 続きを読む
雄香寺は平戸藩5代藩主松浦棟が、
的山大島の古寺江月庵を移して創建し、
5代以降の歴代藩主の菩提寺となった寺院。
「雄香寺」。
前回の訪問時は裏手の墓地側から、
松浦家墓所と開山堂のみを訪問。
今回はちゃんと正門から境内へ。… 続きを読む
現在の最教寺のある場所は、
空海が唐より帰国した際に、
護摩を炊いたとされる場所。
この事から平戸藩初代藩主松浦鎮信は、
真言宗寺院の建設を思い立ちますが、
当時そこには曹洞宗寺院が建っていました。
鎮信は寺の住職に移転を要求しますが、… 続きを読む
、
松浦家の21代当主であった松浦義は、
室町幕府6代将軍足利利教により、
肥前守に任じられていましたが、
義教は嘉吉の乱で赤松満祐に殺されます。
義は義教の追悼の為に出家して融義と称し、
勝尾岳中腹に… 続きを読む
雄香寺は、平戸藩主松浦家の菩提寺で、
境内に5代藩主松浦棟以降の墓があります。
平戸市街北部周辺(雄香寺の場所)
「開山堂」。
朱色が美しい別名「赤堂」と呼ばれる建物。
堂内には5代藩主松浦棟の墓があります。
「松浦家墓所」。… 続きを読む
平戸城は平戸藩松浦家の居城で、
山鹿流軍学に基づいて建築された平山城。
元々慶長期に松浦鎮信が築城した城でしたが、
なぜか完成直前に自焼させてしまいました。
その後、江戸中期まで藩庁は陣屋でしたが、
元禄16年に幕府に築城を願い出て許され、
山鹿素行の実子山鹿義昌の築城指導で、
平戸城は再建されています。
以後は平戸藩の藩庁となりますが、… 続きを読む