松浦史料博物館は旧平戸藩松浦家の住居で、
平戸城が完成するまでの御館跡。
藩主の転居から松浦家が居館を建てるまで、
何らかの施設となっていたようですが、
あまり詳しく判っていません。
「松浦史料博物館」。
松浦史料博物館は平戸藩主松浦家と、
平戸の歴史史料を収蔵した博物館。
昭和30年に39代松浦陞より寄贈され、
改装されて博物館となっており、
建物は[旧松浦家住宅]として、
長崎県指定有形文化財となっています。
78段の石段。
途中で鉤状に折れて桝形となっている石段。
登るのも大変ですが側面から車でも登れます。
学芸員さんは毎日登っているとのこと。
「旧松浦家住宅」。
正門をくぐると旧松浦家住宅。
玄関は閉じられており、
中からもどこが玄関か判りませんでした。
「千歳閣」。
37代松浦詮によって建てられてもので、
謁見応接間として使用されたもの。
「閑雲亭」。
西端にある茶室閑雲亭。
茶道体験が出来るようになっており、
呈茶料は菓子付きで大人1,100円。
松浦家当主は代々鎮信流茶道家元とのこと。
4代藩主松浦重信は若年より茶道を好み、
金森宗和に家臣を入門させていたとされ、
また遠州流、一尾流、古市流、有楽流等、
諸流を研究していたようです。
重信は藤林宗源より石州流皆伝を受けており、
後に諸流の長所を加えて一派を打ち立て、
茶堂として村松伊織を迎え、
豊田姓を名乗らせて代々伝授させました。
8代藩主松浦誠信は達人として知られ、
17歳で皆伝を受けたとされており、
維新後に12代松浦詮は自ら家元に就任し、
鎮信流と称して茶道を指導するようになり、
皇族等へも茶道を教授していたという。
松浦史料博物館からの眺め。
遠くに平戸城が見えていますが、
実際には写真より近くに感じました。
「内部」。
入館料は大人600円。
意外に充実した展示内容でした。
涼しいしね。
「遠影」。
対岸まで行って撮影したもの。
平戸藩初代藩主松浦鎮信は、
慶長4年(1599)に平戸城築城を開始。
しかし慶長12年(1607)に、
建築途中で全焼してしまいます。
※自焼したともされます。
この為中之館と呼ばれた居館を本拠とし、
※正確な中之館の位置は不明。
後に御館(現松浦史料博物館)を建設。
4代藩主松浦重信が平戸城を再建するまで、
御館が平戸藩の藩庁となりました。
冒頭でも書いていますが、
平戸城へ藩主が転居してから、
明治期に松浦邸が建てられるまでの間、
御館はどういう状態だったのかは不明。
平戸城に移ったからといって、
わざわざ壊す事もありませんので、
建物は残されたと思われます。
例えば町奉行所にするとか、
武器庫にするとか色々とありますが、
正確な事は定かではありません。
その後に5代藩主松浦棟は、
弟である松浦昌に1万石を分与。
これにより平戸新田藩が立藩されますが、
多くの新田藩主がそうであったように、
平戸新田藩も定府大名であり、
宗家に蔵米を支給されていましたので、
領地の経営は行われません。
後に明治新政府が設立されて、
新田藩主を諸侯と認めない方針となり、
各新田藩は宗家に吸収されるか、
領地と藩庁を持っていましたよと、
その用意と辻褄を合わせています。
※それでも認められなかった例あり。
そこでこの御館が新田藩の藩庁とされ、
無事に諸候に列して平戸館山藩が誕生。
勿論領地経営の実態はありませんので、
版籍奉還で平戸藩に併合されるに至り、
平戸館山藩は消滅しました。
【平戸新田藩→平戸館山藩】
藩庁:御館(館山陣屋)
藩主家:昌流松浦家
分類:1万石、外様大名(定府、平戸藩支藩)
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