平戸田助浦は安土桃山時代、
領主松浦鎮信が小値賀島、壱岐、呼子から、
領民を移住させたことに始まります。
風待ち、潮待ちの港として発展し、
捕鯨なども行われており、
最盛期には遊女屋30軒を誇り、
遊女の人数は120を数える港となり、
平戸を訪れた人は必ず寄るとされました。
赤丸の場所が田助浦。
上方行きの薩摩船の寄港でもあり、
多くの薩摩藩士が田助浦を訪れています。
西郷吉之助(隆盛)もその一人でした。
「旧角屋 主屋」。
炭屋兼船宿を営む角屋多々良孝平の主屋。
多々良孝平は勤皇の志のあった商人で、
薩摩藩や長州藩の定宿であったようです。
志士達の会合の場所だったようですが、
それとは別に密談の場がありました。
「元廻船問屋明石屋永山邸」。
廻船問屋明石屋の家伝では、
定宿の角屋が表の会合場所でしたが、
この明石屋が裏の会合場所であり、
緊急時の隠れ家となっていたようです。
そしてなんと、西郷隆盛、高杉晋作、
桂小五郎、坂本龍馬らが、
ここの2階で密談をしたとの事。
慶応2年の春の事らしいです。
西郷と晋作は会ったとか会っていないとか、
色々と諸説はありますが、
個人的に会ってる説は高いと思っており、
もし下関で一度会っているとすれば、
再度会っている可能性も充分にあります。
「カフェ明石家」。
現在は土日祝にカフェとして営業しており、
美味しいコーヒーと手作りケーキ、
予約すれはお料理も食べれます。
実は訪問したのは平日だったのですが、
訪ねるとわざわざ開けて下さいました。
※写真は公式より拝借。
御主人の案内で邸内を見てまわります。
「とらのま」。
二階広間で虎の置物が飾られていたので、
とらのまと呼ばれていたようで、
ここで4者の密談が行われたそうです。
西郷はこの部屋から見る外の景色が、
下関の春帆楼に似ていると云い、
この部屋を春帆楼を名付け、
西郷直筆の春帆楼と書かれた看板が、
部屋に掲げられたと伝わっています。
※春帆楼は明治期に伊藤博文が命名。
では間違い?と思うかもしれませんが、
西郷と晋作が会合したとされるのは
稲荷町の対帆楼(大阪屋)ですので、
これを店主が聞き間違えたのか、
西郷が対帆楼の名をヒントに、
春帆楼と命名しという事もありえる。
西郷と晋作の二度目の会談の場所として、
一度目と同じ場所の対帆楼と名付けたか、
二度目の会談は春の事ですので、
春の対帆楼としたということかも?
もしそうならば西郷高杉会談もありえる。
この四者の密談は秘密裡に行われ、
知っていたのは明石屋の主人と女将だけ。
通常の使用人は外していたようで、
女将自らが給仕をしたらしい。
その女将が御主人の曾お婆さんで、
御主人がお婆さんから聞いた話のようです。
海に面した部屋の襖をあけると、
隠し階段がありそこから二階の客間に。
階段は極端に狭く刀を抜いて登るのは困難。
刺客の襲撃を警戒しての作りですね。
「きゃくま」。
隠し階段からもわかるように、
要人用の客間だったと考えられます。
当時は押入れの奥に隠し扉があったらしい。
寝ずの番をするスペースもあったそうで、
警護体制の整った部屋だったのでしょう。
晋作や龍馬もここを使ったのでしょうか?
実はこの建物は当時のものではありません。
明治36年に火災で焼失しており、
当時の建物というわけではないのです。
しかし翌年に先祖に申し訳ないと、
そっくりそのままに再建したとの事。
火災が無ければ密談の形跡があったかも?
ちなみに明石屋の向かい側が、
角屋だったという説もあります。
現在の明石家の向かいは郵便局で、
今の旧角屋は明治期に移転したとのこと。
角屋は当時明石屋の向かいにあり、
明治期に現場所に移転したのか?
離れ等の建屋が明石屋の前にあったのか?
今となっては推測しかできません。
明石屋の少し北に濱尾神社があります。
「濱尾神社」。
田助の産土神として祀られている神社で、
会合を記念する碑が建てられています。
「維新之英傑会合之地」碑。
元々は明石屋の向かいにありましたが、
郵便局を建てる際に移築されたという。
密議だけに言い伝えだけの話ですが、
土地柄、状況から充分にありえます。
薩長同盟も何度も話し合いを重ねなければ、
締結できるものではないでしょうから、
水面下の知られていない場所で、
何度も密議が行われていても、
何ら不思議はありません。
※2023/06/05 再訪して写真更新。
■関連記事■
・晋作と西郷は会っていたのか?
面識が無かったとする両者。
・晋作と西郷は会っていたのか?2
晋作と西郷の会合説の補足。
・長崎県平戸市 平戸城跡
田助浦は平戸藩の領地。
6月23日明石屋は営業中でしたが、店の方が不在でした。明石家の言われを是非教えてもらいたとしばらく待っていましたが叶いませんでした。明石家で回船問屋の歴史は秋田の男鹿半島、瀬戸内の大崎上島町の明石港、神戸市西区(明石市)等の共通項があると思います。北前航路の開設に関わっている様子を調査中です。
コメントありがとうございます。
屋号の由来ですか・・。考えた事なかったですね。
確かに言われてみれば何故明石家なんでしょう?
今後はそういう事もお話を伺う際は聞いてみましょう。