下関は壇之浦の戦いのあった地で、
栄華をほこった平家が滅び、
一緒に京から落ち延びた高級女官らが、
平家が滅んだ後に数多く残されました。
宮中で暮らしていたこれら女官達は、
この地で生きる術を持たず、
春を売るより他はありません。
そんな彼女らが春を売ったのが稲荷町で、
彼女らは漁師相手の遊女… 続きを読む
「坂本龍馬」タグアーカイブ
下関市南部町 綿屋弥兵衛宅跡
禁門の変で直接戦火を交えた薩長両藩。
この両藩を和睦させる為に、
筑前勤皇党(福岡藩)の月形洗蔵らや、
土佐脱藩の坂本龍馬、中岡慎太郎が奔走し、
桂小五郎と西郷隆盛の直接会談の場が、
赤間関で設けられることになります。… 続きを読む
和歌山県和歌山市 勝海舟寓居地
文久3年4月3日。
当時軍艦奉行であった勝海舟は、
海岸砲台検分の為に紀州藩を来訪。
加太~和歌浦の海岸沿いの砲台を、
約30ヶ所も検分しています。
この検分の拠点となったのが、
両替商を営む清水平右衛門邸とのこと。
「勝海舟寓居地… 続きを読む
長崎県長崎市 大浦慶居宅跡
油屋町に大浦慶の居宅跡の碑があります。
「大浦けい居宅跡」。
老舗の油屋大浦屋の跡地。
慶は当主大浦太平次の娘に生まれますが、
油商は不振で屋台が傾いていました。
慶は新しく茶の輸出を思いつき、
蘭通詞品川藤十郎の協力を得て、… 続きを読む
長崎県長崎市 丸山花街跡
丸山花街は寛永19年(1642)に、
長崎市中の遊女屋が集められて始まり、
昭和31年に売春防止法が公布されるまで、
遊郭街として栄えた場所。
「長崎丸山華街之跡」。
丸山花街があった事を示す標柱と説明板。
ここは花街の東端に位置する場所で、
背後の石垣は遊郭街を囲むものの名残。
「… 続きを読む