国分は大隅国府が置かれた地で、
軍事や交通でも要所であった為、
幾度も豪族が争った場所でした。
慶長9年(1604)には隠居した島津義久が、
舞鶴城を築城して富隈城から移住。
京都を参考に碁盤状の町割りが成され、
その城下町が形成されており、
これが国分麓の基礎となっています。
後に国分麓は直轄地になっており、
鹿児島から地頭が派遣されて、
舞鶴城は国分地頭仮屋となりました。
「国分地頭仮屋跡」。
国分地頭仮屋跡は国分小学校の敷地。
石垣と水堀が遺構として現存しており、
内陣にあった赤門が復元されています。
「舞鶴城屋形跡」碑。
水堀沿いにある城跡碑。
他にも多くの碑がありましたが、
どれも明治以降の人物なので割愛。
「国分地頭仮屋の鳥観図」。
水掘前の東屋内に設置されていたもの。
こういうのがあると想像しやすいですね。
■関連記事■
・鹿児島県霧島市 福山地頭仮屋跡
福山麓の地頭仮屋跡。
・鹿児島県鹿屋市 鹿屋地頭仮屋跡
鹿屋麓の地頭仮屋跡。
・鹿児島県串良市 串良地頭仮屋跡
串良麓の地頭仮屋跡。