加治木島津家の居館加治木御仮屋跡は、
柁城小学校及び加治木高等学校の敷地辺り。
加治木高等学校の南西には、
加治木護国神社が建てられており、
御仮屋跡の石垣が残されています。
「加治木御仮屋跡」。
島津義弘は晩年を加治木で過ごし、
ここに居館を建設しています。
義弘の死後は孫の島津忠朗… 続きを読む
鹿児島県姶良市 加治木御仮屋跡
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加治木島津家の居館加治木御仮屋跡は、
柁城小学校及び加治木高等学校の敷地辺り。
加治木高等学校の南西には、
加治木護国神社が建てられており、
御仮屋跡の石垣が残されています。
「加治木御仮屋跡」。
島津義弘は晩年を加治木で過ごし、
ここに居館を建設しています。
義弘の死後は孫の島津忠朗… 続きを読む
重富御仮屋跡は重富小学校の敷地。
元々は島津義弘が築いた平松城で、
義弘が落城させた岩剣城の東麓に、
居館を築いた事が始まりとされます。
関ヶ原の戦いから帰還した義弘が、
暫く滞在していたとされます。
その後は越前家を再興した島津忠紀が、
自領… 続きを読む
伊集院は薩摩半島の交通の要所で、
室町時代より数度の戦いが行われました。
周辺は伊集院家の支配下にありましたが、
江戸時代には島津家の直轄地となり、
伊集院麓が形成され地頭を派遣。
政務を行う御仮屋が置かれています。… 続きを読む
市来は薩摩半島の北西部に位置し、
縄文時代より人が住み付いていたようで、
多くの貝塚が発見されており、
市来式土器等が出土しています。
平安時代には市来院が置かれており、
市来氏や惟宗氏が郡司… 続きを読む
平佐の行政を担っていた平佐御仮屋は、
中世の城である平佐城跡にありました。
平佐城の本丸は平佐西小学校の南東付近、
二ノ丸が平佐西小学校付近、
三ノ丸が現在の川内駅辺りとされており、
意外に大きな城であったようです。
「… 続きを読む
吉利は禰寝家及び小松家の支配地で、
外城として吉利麓が形成され、
そこに武家屋敷群が造られました。
「吉利御仮屋跡(旧吉利小学校)」。
吉利麓の御仮屋は旧吉利小学校で、
小学校は平成30年に廃校。
最近は廃校となる小学校も多く、
少し寂しい気がしますね。
「… 続きを読む
永吉は永吉島津家の支配する私領で、
外城として永吉麓が形成され、
そこに武家屋敷群が造られました。
「永吉御仮屋跡(永吉小学校)」。
永吉御仮屋があった場所は、
永吉小学校の敷地となっています。
敷地を隅々まで見た訳ではありませんが、
石垣等の遺構は見当たりません。
「永吉村役場庁舎跡」碑。… 続きを読む