蒲生麓は薩摩藩直轄の外城で、
鹿児島城下から五里半の位置にありました。
別府川と蒲生川の間に麓集落が形成され、
現在も景観をよく残しています。
江戸中期に形成された比較的新しい麓で、
それ故に機能的な町割りとなっている模様。
「蒲生地頭仮屋跡」。
蒲生地頭仮屋跡は蒲生支所の敷地内。
訪問時は支所の建て替え工事中でしたが、
遺構は御仮屋門だけですので、
それ程問題はありませんでした。
元々御仮屋は蒲生川の南側にあったようで、
それから前郷川の北側に移転され、
享保年間(1716-1735)に現在地に移転。
それから町割りが行われたようです。
「蒲生麓武家屋敷通り」。
多くの武家門が残る蒲生麓武家屋敷通り。
写真は西馬場と呼ばれた西側の通りです。
蒲生といえば大クスということで、
日本一の大クスを拝見しに行きます。
「蒲生八幡神社」。
かつてここを支配した蒲生氏により、
宇佐八幡宮(宇佐神宮)より勧請して創祀。
この地が島津家の所領となった後も、
同家によって庇護を受けました。
社殿は昭和60年の台風で大破しており、
現在のものはそれ以降に再建されたもの。
この社の境内に大クスがあります。
「蒲生の大クス」。
推定樹齢は1600年以上というクスの木で、
環境庁の調査で日本最大の巨木と認定。
神社が創祀される段階で既に大木で、
御神木として祀られたとのこと。
和気清麻呂が杖を地にさしたものが、
この大クスになったとされています。
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