【史跡訪問】」カテゴリーアーカイブ

福岡県糸島市 今宿跡

今宿唐津街道の宿場町。
姪浜宿前原宿の距離が遠かった為、
その中継点として作られた半宿でした。


今宿周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが今宿跡。

東側より散策。

今宿交差点」。
今宿の東側の入口にあたり、
ここから西側が横町続きを読む

福岡県糸島市 前原宿跡

前原宿唐津街道の宿場町。
福岡藩の支配する宿場の最西端で、
同藩の別の宿場と同様に、
宿場の両端に構口が設けられていました。


筑前前原駅北側。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが前原宿跡。


東構口跡」。
往時は他の宿場と同様に構口が設置され、
番所が建てられていたとされます。

宿場の通りは道の色続きを読む

福岡県糸島市 深江宿跡

深江宿唐津街道の宿場町。
唐津藩幕府中津藩と支配が移り、
中津藩領となってからは代官所が置かれ、
怡土郡の中津領24村の年貢米2万石が、
集められた後に船で運ばれたようで、
宿場だけでなく物資集積地としても、
賑わいを魅せていたようです。… 続きを読む

佐賀県唐津市 浜崎宿跡

浜崎宿唐津街道の宿場町。
虹の松原の東に位置していますが、
唐津藩領ではなく対馬府中藩領で、
鳥栖の田代代官所がこれを支配し、
出張所として役所が設置されていました。
※役所の場所はよく判りません。


浜玉町浜崎周辺。緑の線が唐津街道で、
青くぼかした辺りが浜崎宿跡。

東側より散策。… 続きを読む

佐賀県唐津市 名護屋城跡②

/②
つづき。


弾正丸跡」。
二ノ丸の南側に配された弾正丸跡。
名称は浅野長政の官位弾正少弼に由来し、
長政が登城時に詰めた曲輪だったとのこと。


搦手口跡」。
弾正丸は… 続きを読む

佐賀県唐津市 名護屋城跡①

①/

名護屋城豊臣秀吉朝鮮出兵の際に、
その拠点として築かれた巨大な城。
文禄元年(1592)の開戦から、
秀吉の死で撤退する慶長3年(1598)まで、
大陸侵攻の拠点となりました。
その規模は約17万㎡にも及び、
大坂城に次ぐ規模を誇っており、
周囲に130以上の諸大名の陣屋が構築され、… 続きを読む

佐賀県唐津市 水野忠光墓所

佐賀県立唐津商業高校の南西方向の御岳山に、
水野家唐津藩3代藩主水野忠光の墓があります。
忠光は天保の改革の主導者水野忠邦の父で、
隠居後の文化11年(1814)に江戸で死去。
遺骸は歴代墓所である結城万松寺に埋葬され、
遺言によって唐津に[衣剣]が埋葬されました。… 続きを読む