水質日本一と称される高津川ですが、
その割に名水百選に無いと思ったていたら、
高津川の水源が選ばれていました。
江戸中期に記された吉賀記によると、
「十間程度の丸い水溜りに穴が五つあり、
そこから水が湧き出していた。
水色は青く、凄まじく湧き出している。
この穴に砂石を入れて潰し、
これを田地にしようと試みたが、
水が溢れ出て潰す事が出来ず、
元のように穴があいてしまった」とのこと。… 続きを読む
「【史跡訪問】」カテゴリーアーカイブ
山口県岩国市 寂地川
寂地川は錦川の支流宇佐川の最上流。
西中国山地国定公園内の寂地峡にあり、
この川には昔大蛇が棲んでいたようで、
村人が育てた木々をなぎ倒したり、
毒の息を吐いて作物を枯らしたり、
色々と村人を悩ませていました。
そこに寂地坊という旅僧がやってきて、
祈祷で大蛇を退散させたとされ、… 続きを読む
東京都中央区 熊本新田藩上屋敷跡
■熊本新田藩■
熊本藩3代藩主細川綱利の弟細川利重が、
蔵米3万5000石を分与され立藩。
維新に熊本藩の高瀬町奉行所を仮藩庁とし、
高瀬藩として届けられました。
明治3年に正式に高瀬陣屋を建設しますが、
熊本県玉名市 高瀬陣屋跡… 続きを読む
東京都墨田区 椎の木屋敷跡
■平戸新田藩■
平戸藩5代藩主松浦棟の実弟松浦昌が、
蔵米1万石を分与されて立藩。
領地経営は行われませんでしたが、
維新後に平戸藩の御館を藩庁として届け、
長崎県平戸市 松浦史料博物館
館山藩と改称されていますが、
実態は無く明治3年に平戸藩に併合されます。
平戸新田藩上屋敷… 続きを読む
東京都港区 小倉新田藩上屋敷跡
■小倉新田藩■
小倉藩2代藩主小笠原忠雄が、
実弟小笠原真方に1万石を分与して立藩。
3代まで参勤交代をしていたようで、
江戸屋敷と小倉城下の屋敷を往復しており、
知行地は持っていたと思われますが、
行政は小倉藩に取り仕切られていました。
後に定府大名となって蔵米支給となりますが、
明治2年に千束陣屋を構えて千束藩と改称。… 続きを読む
東京都港区 土佐新田藩上屋敷跡
■土佐新田藩■
改易されていた支藩土佐中村藩の藩主家に、
土佐藩9代藩主山内豊雍が蔵米1万石を与え、
土佐新田藩として再興させたもの。
5代藩主山内豊福は佐幕派でしたが、
徳川慶喜に宗家の対する批判を浴びせられ、
幕府と宗家の板挟みを苦として、
慶応4年1月13日に自害しています。… 続きを読む
東京都港区 広島新田藩上屋敷跡
■広島新田藩■
広島藩5代藩主浅野吉長が、
実弟浅野長賢に蔵米3万石を与え、
広島新田藩として立藩させた藩。
幕末に長州藩の動向を注視した広島藩は、
毛利家所縁の吉田を奪われる風説を恐れ、
新田藩7代浅野長厚… 続きを読む