高津柿本神社は益田市高津町にあり、
歌聖として知られる柿本人麿を祀る神社。
正式な名称は柿本神社ですが、
4㎞の離れた戸田町に戸田柿本神社があり、
各地にも柿本神社が多くあることから、
通称として高津柿本神社と呼ばれています。
全国の柿本神社の総本社とされており、
地元では「人麿さん」も呼ばれて親しまれ、… 続きを読む
島根県益田市 高津柿本神社
コメントを残す
高津柿本神社は益田市高津町にあり、
歌聖として知られる柿本人麿を祀る神社。
正式な名称は柿本神社ですが、
4㎞の離れた戸田町に戸田柿本神社があり、
各地にも柿本神社が多くあることから、
通称として高津柿本神社と呼ばれています。
全国の柿本神社の総本社とされており、
地元では「人麿さん」も呼ばれて親しまれ、… 続きを読む
江崎浦は深い入江の奥にある天然の良港で、
阿武郡18郷の米積出港となっていました。
北前船の西廻航路が開設されると、
商業港としても重要性を増し、
寄港誘致の為に定期的に市や芝居が開かれ、
更に津和野藩に港の使用を許可した為、
長州藩… 続きを読む
金戒光明寺墓地の長い石段入口右側に、
津和野藩の藩祖亀井茲矩の墓があります。
「前武州大守中山道月大居士(中央)」。
津和野藩祖亀井茲矩の墓。
茲矩は尼子家家臣湯永綱の長男に生まれ、
同家臣亀井秀綱の次女を娶り、
亀井姓を名乗っています。
尼子家滅亡後に… 続きを読む
廿日市宿は西国街道の31番目の宿場町。
廿日市は古くは廿の浦と呼ばれ、
鎌倉時代に厳島神主藤原親実が移住して栄え、
毎月廿日に市が立つようになった為、
廿日市というようになったとのこと。
西国街道の宿場として馬15頭が置かれ、
旅館が建ち並んでいた他、… 続きを読む
法明院は平安時代創建の古刹で、
元は長徳寺という天台宗寺院でしたが、
後に荒廃して戦国期に九江滋淵が再興。
曹洞宗の寺院となっています。
「法明院」。
本堂… 続きを読む
浦上四番崩れにおいて捕縛された信徒らは、
萩、福山と共に津和野にも移送され、
明治元年に指導者ら28名が、
その翌年には家族ら125名が、
津和野にやって来ました。
津和野藩は信徒らを乙女峠の光琳寺に幽閉。
改宗への説得が行われましたが、… 続きを読む
津和野宿は津和野城城下にある宿場。
重要伝統的建造物群保存地区となっており、
往時の街並みが状態よく残っています。
津和野市街周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが津和野宿跡。
「殿町通り」。
殿町通りには一度訪問済み。
島根県鹿足郡 殿町通り
藩校養老館跡、役場津和野庁舎、… 続きを読む