廿日市宿は西国街道の31番目の宿場町。
廿日市は古くは廿の浦と呼ばれ、
鎌倉時代に厳島神主藤原親実が移住して栄え、
毎月廿日に市が立つようになった為、
廿日市というようになったとのこと。
西国街道の宿場として馬15頭が置かれ、
旅館が建ち並んでいた他、… 続きを読む
「西国街道」タグアーカイブ
山口県防府市 浮野宿跡
浮野宿は西国街道の半宿。
富海宿と宮市宿の中継地として、
人足や馬が用意されていました。
「御国廻御行程記 牟礼(一部)」。
浮野宿は四丁五間(約450m)と短く、
そこに45軒の家屋が建っていたという。
防府市江泊町周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが浮野宿のあった場所。… 続きを読む
兵庫県明石市 大蔵谷宿跡
大蔵谷宿は西国街道の7番目の宿場で、
京都側からは明石城の手前に位置し、
旅籠が約60軒もあったという。
明石城南東周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが大蔵谷宿跡。
東側から散策。
「大蔵谷宿跡」。
街道沿いの家々は更新されており、
面影は少なくなってはいますが、
当時の家屋をリフォームしたと思われる家も、
いくつか点在しています。… 続きを読む
山口県山口市 嘉川市宿跡
嘉川市宿は西国街道の間宿。
小郡宿と山中宿の間にあって、
宿馬10疋が常備されていたようで、
天下御物送り、荷物搬送を担ったという。
幕末期には70余軒が建ち並び、
年寄と目代これを取り仕切っていました。… 続きを読む
兵庫県姫路市 六騎塚
延元元年(1336)に足利尊氏は、
九州から大軍を率い東上。
これを児嶋範長が迎え撃ちますが、
戦いに敗れて最後には主従6騎となり、
阿弥陀宿の辻堂で自害しました。
※阿弥陀宿は旧山陽道の宿場。
この6騎を弔う為に建立された塚が、
西国街道沿いに建てられています。
「備後守兒嶋君墓」。
6騎の主従が自害した場所で、… 続きを読む
兵庫県加古川市 加古川宿跡
加古川宿は西国街道の宿場町。
加古川の東側に位置しており、
古い宿場町で少なくとも鎌倉時代より、
宿場が存在していたようです。
加古川町寺家町周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが加古川宿跡。
「加古川の渡し」。
本来は船着場が状態良く残っていますが、
訪問時は川が増水して水没していました。
往時なら水が引くまで宿場で足止めです。
西側より散策。
「… 続きを読む
下関市赤間町 稲荷町 裏町遊郭跡
下関は壇之浦の戦いのあった地で、
栄華をほこった平家が滅び、
一緒に京から落ち延びた高級女官らが、
平家が滅んだ後に数多く残されました。
宮中で暮らしていたこれら女官達は、
この地で生きる術を持たず、
春を売るより他はありません。
そんな彼女らが春を売ったのが稲荷町で、
彼女らは漁師相手の遊女… 続きを読む